石垣りん「ランドセル」

こんにちは、検索迷子です。


もうじき新学期だ。
自分の周辺で小学校に入るお子さんはいないが、
新一年生が身近にいるかたに、
石垣りんさんの「ランドセル」の詩を贈りたい。

ランドセル
           石垣りん


あなたはちいさい肩に
はじめて
何か、を背負う


机に向かってひらく教科書
それは級友全部と同じ持ちもの
なかには
同じことが書かれているけれど
読み上げる声の千差万別


入学のその翌日から
ほんの少しずつ
あなたたちのランドセルの重みは
違ってくるのだ


手を貸すことの出来ない
その重み


かわいい一年生よ。



『レモンとねずみ』石垣りん、童話屋刊


レモンとねずみ (童話屋の詩文庫)

レモンとねずみ (童話屋の詩文庫)



大人になってから、
子どもが背負うランドセルはなぜあんなに重く、
大きいのだろうと不思議な思いがした。


子どものころの自分が、
それを背負っていたことをすっかりと忘れて。
小学校一年生のころ、その重みを感じただろうか。


同じ入学式というスタートにたち、
そして、日々を積み重ねることによって、
何かが少しずつ変わっていく。


それは教科書の折り目の深さかもしれないし、
文房具のすり減り具合かもしれない。
でも、一番は個性というものが、
どこでどう出てくるかなのだろうか。


決められた時間割、
団体行動、
クラスメイト、先生との関係。


自分のランドセルの重みは忘れてしまったが、
のんびりした子どもだったと思う。


ランドセルを背負う子どもを見かけると、
今の時代、子どもとして生きていくのも、
ちょっと楽じゃないかもと思ったりする。
身近にお子さんがいないため、推測でしかないけれども。


入学おめでとう、新一年生だね。
そう、伝える親御さん世代に、
この一編は贈りたい。


新生活の始まりは、
新しい試練へ送り出すことでもあるのかもしれない。
お祝いを口にすると同時に、
心でがんばりなさいよと祈っていたりすることもあるだろう。


ランドセルは、
希望も詰まっているが、
手の貸すことの出来ない重みも詰まっている。


大人はランドセルを背負えない。
子どもが自ら背負うような大きさで、
それは子どもが引き受ける重さなのだ。


かわいい一年生をこれから、たくさん見かけるたびに、
この詩を思い出すだろう。

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では、また。