創業者だけが持つオーラ

こんにちは、検索迷子です。


休日返上で、創業者が主催する勉強会に出席した。
有志によるもので、給与がでない時間なのに、出席するには条件がある。


それは、仕事を遊びにできるくらい没頭すると誓い、
自分は仕事大好き人間と宣言し、どんな成果をあげるのかとコミットすることだ。


実は、私は率先して出席しようと思っていたわけではなく、
本業の他の仕事として、創業者が率いるプロジェクトメンバーに内定していて、
強制的にメンバーに入れられてしまって、半分受身で出席していた。


なかば仕方なく参加したのだが、終わったあと、出席してよかったと思った。
それは、出席しているほかの社員が、本当に本当に仕事が好きで、
自分のために自発的に出席している人だったため、
仕事が大好きです、こんな努力をしています、こういうことを達成しますと、
熱く語っているのを目の当たりにできたからだ。


部署横断の会のため、違う職種の人たちも多く刺激も受けた。
仕事が好きで、愛社精神もあり、お客様のことを考えている人たちの言葉は、
どれもリアルで、真剣さが違った。


創業者に直接、熱く自分の思いを語り、自分はこんなことをしたいと宣言する。
それができる芯の強い人たちばかりだった。
半ば圧倒されたが、会が進むにしたがって、
メンバーに入れてもらってよかったと思った。
むしろ、自発的にだったら出ない場だったかもしれない。


同じ会社にいても、同じような仕事をしていても、同じ職種でも、
こんなにも職業観やアプローチの仕方が違うのかと参考になった。


そして、何より、部門長クラスが、けんもほろろひよっこ扱いされている姿が、
妙におかしかった。
普段は部門を率いる立場の人だって、一人のサラリーマンなのだと思った。
それだけ、創業者の下では、全員が子ども同然なのだ。


何をしたいか、何ができるかを他者に語るのは、
ある意味、自分の素を見せることで、とても恥ずかしい思いがする。


それを今いる会社を創った人に向けて、自分はどう語れるか、どう説明できるか、
どう熱意を証明するか、改めて考えさせられた。
頭ごなしに否定されている人もいた。
出席する資格がないといわれている人もいた。
それでも、ついてくるのか、成果を出せるのかと問われる人を見ながら、
自分ならどうなんだろうと考えた。


創業者は、無から社会に価値あるサービスを提供し、
企業を社会に知らしめて、従業員の雇用を創出し、その家族を含めて生活を支えている。
その実績の凄さを見るにつけ、
一介のサラリーマンである自分が、想像することもできない苦労があったと推測する。


創業者のオーラを間近に感じ、今日、この場所にいられることを誇りに思って、
さらに上に行こうと思うことができた。


何よりも発見できたのが、それだけ圧倒的な立場の人だと、
多くの人たちは、主張が食い違うとき反論しにくいということだった。


自分と近い立場の人なら、話し合いや説得によって、わかりあうことができても、
創業者レベルだと、うまくいえなくて悔しい思いをする、
説明できる自分にならなければ次にいけない、絶対に説明したいという、
負けたくないという気持ちを持つということだった。
仕事にプライドがあればあるほど、その気持ちは強くなるはずだ。


私はたまたま否定的なことは言われなかったが、
何人もが今やっている仕事の進め方を否定されて、
唇をかみ、努力しているのにと言葉を飲み込む姿を見て、共感できるものがあった。


創業することは凄い。
でも、創り続けて、変化させ続ける人たちだって凄いんだと、
私たちは結果を通して、見せていくしかない。


無理難題であれ、課題を与えられ続けるということは、
成長できることだと前向きに考えなければと思った一日でした。


では、また。