謝罪文のマナー

こんにちは、検索迷子です。



最近、ある人から、過去の仕事に対する謝罪メールが届いた。
開いた瞬間、けんかを売ってるのかと思う不快感が先に立った。


文頭に、このメールにて全ての用件を終わりにしたいと思うと、
自分が強者だという宣言から始まる文章から始まっていた。


謝罪文の前にだ。戦闘宣言とも受け取れた。


その後、定型的だが的を得ていた謝罪文はかすんでしまった。
むしろ、そんな余計な修飾はなく始めて、
後半に、これにて終わらせていただきますと、
今後の関与をもたないと柔らかい言葉があったほうが好感がもてた。


謝罪したいのか、戦いを挑みたいのか、
終結を焦っているのか、
謝罪文にみられる誠意はそれぞれに違う。


読んだ私は、謝罪されたというより、
攻撃をされた気分で不愉快になった。


それでも、許そうと思った。
渾身の力を込めて、メール文を考えて、
送信ボタンを押したその勇気は、
かつてのその人には決してできない、大人の対応だった。


謝罪文を私に送ることさえも強要していなかったのだから、
自発的に書こうと思って、インターネットで雛形を探し、
短文なりにも整合性がとれた謝罪文だった。


まずは、送ってくれたこと自体を感謝しようと思う。
しかし、そこに若気の至りとして、
あなたとはもうかかわりをもちたくありませんという、
一文を書いてしまうところが、残念であった。
私に謝罪文で勝とうとして、一体どうしたかったのだろうか。


それで気が済むならそれでよしと思った。
私から返すこたえは、特にはない。


全面的に、怒りもなく、
終わったこととして、心の整理はできていた。


謝罪文を、相手を思いやるように、心を込めて書けない人に、
これ以上何を言っても始まらない。



逆に、今後、メールアドレスや、メール文面の漏洩問題をされたために、
なにかあれば法的でやると決めているだけに、
軽い返信はするつもりはない。


本人は挨拶は済ませたつもりでも、
私としては、個人情報漏洩の生涯の傷は、
いずれその度合いに応じて、対処する決意をしている。


だいいち、
見たことのない、一瞬スパムメールだと捨てかけた、
フリーの捨てアドレスできたメールに何の効力も誠意もみられない。
アドレスは個人を表す名刺だということすら、理解できていない。



これは、その人がどうという話よりも、
謝罪とは、対面で、正式に経緯を説明して、
人と人が納得しあい、和解できるまでは成立しないという私のポリシーである。
メールは所詮、送りつけるだけの満足感のツールである。



心がこもってない謝罪を、私たちはしてはいけない。
定型文に自分の言葉をもっていかれるような、
思いの伝わらない文章を書き、そんな形式的な謝罪を繰り返していると、
そんな人間に成り下がっていくのだから。
そして、誰かに逆襲をされる。


謝罪文をせっかく書いても、一ミリも謝罪が伝わらず、
余計に相手の怒りに火をつける。



宮川俊彦さんの『謝罪の文章術』

謝罪の文章術 (角川oneテーマ21)

謝罪の文章術 (角川oneテーマ21)


で、ちょっと勉強してほしいです。

心を込めた、自分の用語をふんだんに使った、
お互いの知っているキーワードを適切に盛り込んだ文章以外は、
印刷された謝罪文と同等です。


そんな謝罪を書くくらいなら、
ごめんなさい。
その一言で想いが伝わる。


言葉はそれくらい敏感です。



でも、よくぞ、メールをくれたと思いました。

それはほめたいなと思います。
最後の誠意だったのですね。


内容はともかく、送信ボタンを押すだけでも勇気がいりますからね。


では、また。

              • -

2010/09/14追記

参照されることが多いエントリーのため、後日、もう一つ記事を書きました。
定型文の雛形といったものではありませんが、
謝罪文を書く際の参考になさってください。
謝罪文をどう書くか