縁ある人

こんにちは、検索迷子です。


今日という一日が、重たいなと感じる一日を過ごしました。


一つの会社を辞めて、
明日から別の会社の社員になるだけなのに、
視界ががらりと変わるような気持ちで、明日以降の準備をしていました。


こうやって、作業をたんたんとこなすことで、
まるで、余計なことを考えないようにするかのように、
ひたすら何かを消化することに集中していました。


お世話になった方に最小限の挨拶を済ませて、
過去と未来のために大量に書類を書いて、
新勤務地に提出するために健康診断を受けて、
重たかった髪を切って、
新しい区間の定期券を買いました。


奇しくも今度の勤務地は、これまでの終着駅を経由していきます。
今までは、最後尾に乗り、右のエスカレーターを上るだけだったのが、
今度は、最前列に乗り、左のエスカレーターを上り、
新天地に乗り継ぎます。


まさに、物理的には右と左に分かれるだけですが、
この、右と左に分かれることを選んだんだという実感が、
なぜかじわじわと変化の気持ちが高まります。
私の日常はこうして徐々に変わっていくのです。


明日以降、新入社員として当面は研修です。
時期的に、新卒の人たちと一緒に研修になるのかもしれませんが、
それはまだわかりません。


会社の規模も、これまでの従業員で10倍以上のところです。
会社生活は4社目ですが、1000名以上の大企業は3社目です。


大企業の中で働くことを毛嫌いするかたもいるでしょうが、
私は、サービスの社会的な影響力の大きさを考えると、
大企業が手掛けるサービスが好きです。

願えば叶う。ブログで書き続けて、再び検索迷子はサービスの作り手になります!

今回の転職では、念願かなって、
お客様が使っていただけるWebサービスの立ち上げディレクターとして、
新しいサービスを世の中に送り込む予定です!!
インターネット大手企業への転職となるため、利用者数も膨大です。
緊張もしますが、わくわくします。


検索迷子では、これまでずっと思い出話として、
Webサイトの作り手の気持ちを書いてきました。


そして、いつかまた作り手になりたいと願望も書いてきた結果が、
やっとやっと、実現したのです。
ブログを始めたのが7月で、まだ累計75日しか書いていませんが、
その想いが届いたのだと思います。


やりたい、やりたいと書いて来たことで自己暗示をかけてきましたが、
このブログがあったおかげで、軸がずれずに済んだと思います。


この、検索迷子のブログも、
応募時にURLを貼って採用担当者の方に見ていただきました。


これは、一時期、
梅田望夫さんのコメントに触発されて、ブログを始めたものです。
私も既読なのですが、詳細に引用してくださっている方のブログがありました。

KatsuhitoのWeblog - 私塾のすすめ―ここから創造が生まれる / 齋藤孝、梅田望夫

[齋藤] よく、「言葉の端々にでる」といいますが、Eメールでも、いろいろな人から仕事の依頼がきますが、そのメールの文章を見ただけで、相当のことがわかる。その人の経験値もわかるし、人間関係のクセもなんとなくわかる。メールを見て「この人危険だな」と思う人は、会ってみてもやはり危険だったりします。
[梅田] ブログだともっとわかります。履歴書を見るよりも、その人のブログを見たほうが人物がよくわかります。(p.53)

うわー、これはもうブログを始めるしかない、
しかも、数日だけでは内容がしょぼいからということで、
とにかく日数を稼ぐために、連日一生懸命書きました。


いつか転職活動に使うつもりで、継続は力なりと思い、
もともと始めていました。
だから、最初から、他者に読ませることを中心に書いていたつもりです。


一時期は、
応募条件にブログ必須というところを受けようと思っていたため、
数は少ないながらも、
一つ一つを丁寧に書いてきたということをアピールしたいと思いました。


実際、見てくださっているかまでは存じ上げませんが、
自分という人間を伝える材料になると思いました。
中途半端な資格試験の合格歴を書くより、
ブログがありますのほうが、今は有効なのかもしれませんね。素がでますから。


今後は思い出だけでなく、
もう少し、本物で現役らしいコメントが書けるかもしれません。
が、仕事のそのものは企業秘密なので、難しいですね。
どうなることやら。


でも、何よりも、
お客様に使っていただけるサービスを作れるのが嬉しいです。
しかも、老舗の大手サービスで、
インターネットを頻繁にするひとなら誰でも知っている知名度のところです。


ちなみに、普段インターネットをあまり使わないご年配の方や、
一日立ち仕事のサービス業の人に聞いてみたら、
知ってますよ、使ってますよと言って貰えました。


そういう、生活に浸透したサービスが作れることも嬉しいです。
生活必需品にインターネットを絶対にする、これが私の次なる野望です。


ITリテラシーの決して高くない方に、
もっと認めてもらえるサービスを作りたいと思います。


といっても、会社の目指す方向もあるでしょうから、
徐々にスピードをあげて、いいサービスを作りたいと思います。

まずは、スローペースで日常から慣れて行こうと思います。


縁ある人と縁なき人


今日、過去に仕事をした方からメールをいただいて、
改めて、縁とは「あるか」「ないか」ではなく、
縁を「作りたいか」「切らさないか」という個人の気持ちが大切だとわかりました。


若い頃の私は、仕事上のけんか別れや言い争いのたびに、
あの人とは一生仕事をするものかと、ざくっと、その人を切り捨ててました。
たぶん、相手の方も同じだったのだと思います。


そんな、ゼロイチのやり方をする私には、
相手も売り言葉に買い言葉で、
天につばを吐いたら自分に降りかかってきたみたいな、
同じような切り付けられ方をしました。
双方、傷だらけで、嫌な思いだけで別れました。


ところが、あるとき、
電車でばったり過去仕事をした人と会い、
いやーどうしているの、あの仕事面白かったよねー。
ちょっとまた一緒にやろうよと車内で盛り上がって、
名刺交換をして別れたのでした。


で、電車を降りて、はたと振り返ってみると、
私はその人とは、最後は大激論のうえ、けんか別れをしていたのでした。


一時は毎日仲良く仕事をしてかわいがっていただいていましたが、
たぶん、後半は口も聞かなかったはずです。
最終日に挨拶するのも怖くて、メモを残して退職した覚えがあります。


電車を降りてから、あれ?なんかこんな感じだったっけ?と思い出して、
お互いけんか別れなどすっかり忘れていたことに気づきました。
双方、一番協力しあって、一番楽しかったプロジェクトのことだけを話していました。


ああ、縁がある人は、
共有しあったものの深さで変わるのだなと思いました。
個人的な感情で好きだとか、嫌いだとかで切れる感情ではなく、
あの仕事は最高に面白かった、
一緒に乗り越えたねというのが、
私たちの縁を強固にしてくれたのかと思いました。


だから、私も少しずつそういう点で大人になろうと思っています。


許せないほどの裏切り、
信じて一緒に仕事ができる日を待っていたのに、
まるで違うことにうつつを抜かしていた、
過去の尊敬しているという言葉を現在進行形で捕らえていたばかり、
努力を怠っていたらバカにされるくらい成り下がっていた、
とにかく、自分という存在に胡坐をかいていた、
ひどいことだらけでした。


一番ひどいのは自分なのに、相手が悪いと責め立てていました。
もう、目も当てられないくらい、怒り心頭の自分がいました。


でも、不思議と、
逆にそんな感情的に怒りを爆発させる私を人生から追い出さず、
私の長所を上手く吸い上げて付き合い続けてくれる、
仕事のパートナーもいます。


寛大な心だなと思う一方で、
部分的に利用されているのかと思ったこともありましたが、
たぶん、違うんですよね。


いいところがあるから使ってくれる場所がある。
嫌なところもあるけど、いいところがあるから、
許してくれている。
いいところが若干いやなところを上回るから、
縁を切らずにいてくれるんだと、やっと最近わかりました。


私が傷つけた回数が多いにも関わらず、
献身的に私の能力を支えてくれている人にも出会えました。
私の能力を信じてくれているからです。
悪いところも注意されますが、いいところは最大限に伸ばしてくれる。
尊重してくれる。バックアップしてくれる。


縁を切るという決断のほうが簡単にできそうでいて、
縁を切らない部分を見極める力を持つ、ということが人間性を問われると思いました。


私も、縁を切るということだけでなく、
切ってはいけない縁を大切にしようと思うようになりました。
あなたに会いたいとメッセージを送り続けようと。



中島みゆきさんの歌に、『』という曲があります。

縁ある人
万里の道を越えて 引き合うもの
縁なき人
顔をあわせ すべもなくすれ違う

この意味するところが、ずっとしっくりきませんでしたが、
引き合う人とは、縁は切らないでいたいと最近は思うようになりました。


そして、引き合ってくれる人にも縁を切られないよう、
自分も努力をしなくてはと思うようにもなりました。


私にとっては、それはいい仕事を一緒にしたかどうかの、
共有体験が一番のキーワードになります。


一緒にいいものを作ろうと真剣に語り合った人たちと、
どんなに時間が経過しても、
想いがずれることはないという経験をたくさんしています。


人の好き嫌い以上に、
ものづくりの精神を共有できる人との縁、
私は切りたくないと思います。


人間的に嫌っても、手腕が尊敬できる人だっているのですし。


私は、人として愛されることよりも、
情報産業の凄い作り手として、伝説に残りたいと思います。
だって、ものづくりをするために生まれてきたような、
ものづくりのことしか考えていない人間なのですから。



私を憎み、嫌い、でも数年後私に会った時に、
私に声をかけたくなるような人になりたいものです。


だから、私は、一時的に関係を閉じても、
永遠のさよならは、その人が亡くなるその瞬間までは、
言わないでおきたいと思うようになりました。


いいものを作るために、知識を出し合う人とのいさかいなんて、
未来のインターネットの発展には絶対に必要なことだから。



私は、今は誰にもさよならを言わず、
また、一緒に仕事ができる機会になったら、
そこから、全力で伴走しあいたいと思います。


相手が誰であれ。縁を繋ぎ止めたい人ならば。
縁を繋ぎ止めたいと、その人が努力をして向上しているならば。


私がお客様の方向を向いている以上、
インターネットの知識を持っている業界人は誰も敵にしたくないです。


最後のコメントなんて、お別れの言葉なんて、
本当に息が絶えるそのときまで、弔辞としてとっておきたい。


生きている以上、どこかで交差する人生もある。
だって、一時は、本気でぶつかり合った縁ある人だったのだから。


縁を、またどこかでバージョンアップさせて、
またいいサービスを作りましょう。


そう、一時的に別れる人には伝えたいと思います。
さよならかもしれないけれど、
またね、で別れたい。


私には、そういう人がいてくれることが幸せに思えます。



では、また。