倚りかからず(よりかからず)

こんにちは、検索迷子です。


私はこれまで、
茨木のり子さんの詩集『倚りかからず』(注:よりかからず、と読みます)を、
何冊も購入してきました。

作家の落合恵子さんがご著書のなかで、折にふれて紹介していたことをきっかけに、
愛読するようになりました。


倚りかからず

倚りかからず


茨木のり子さんは、学校の教科書でおなじみの方もいるかもしれません。

wikipedia-茨木のり子(いばらぎ のりこ)


たぶん、生涯で同じ本を何冊も買ったのは、この本が最多です。
それだけ引き込まれる詩集なのです。

また、図書館や書店などで、詩集の棚を見ているとき、
中身は十分知っているのに、必ず手にとって読みたくなる一冊です。


何度か人に勧めて貸すだけだったつもりが、いつしか差し上げていたり、
引越しの際に迷子になったり、
何か失意のなかにいる人への贈りものとしても、
この詩集を何度も買ってきましたが、
いつ読んでも、ふわりと心臓を包まれるような気持ちになります。


茨木のり子さんの言葉を紡ぎだす力は、
あったかいというより、言葉が鮮烈でむしろ厳しいかもしれません。
でも、私は学校の教科書で茨木のり子さんを知って以来、
ずっとその言葉をこころのよりどころにしていたような気がします。

子どもの頃、図書室で読んだ本の記憶を、
落合恵子さんのご著書で思い出させてもらったのです。


茨木のり子さんの詩集は、
日常をとらえたものでありながら、
日常の雑然としたこととは別個の場所で、圧倒的な強さで、
人の心をつかんでしまうと思っています。


この、倚りかからずという言葉の芯の強さに、
揺らいではいけない、
前を向いて、自分の足で立っていかなければならないと、
しなければいけないとたくさん思うことがあります。


でも、反対に、
何々をしなくてはいけないという決まりや規制ごとではなくて、
こうあろう、こう生きようと、
自分との約束のような決意を呼び起こしてくれるのです。
何々したいと自分の意志で生きようと思わせてくれます。


茨木のり子さんが亡くなった後、
追悼特集が組まれた雑誌の新聞広告に、
『倚りかからず』が全文掲載されていました。

その見出しは、
「これほど見事な日本語はない」
でした。


何の雑誌かは失念してしまったのですが、
名刺サイズのその詩の部分だけを切り抜き、折に触れて眺めています。


いつ読んでも新しく、
いつ読んでも心が痛く、
いつ読んでも生きる力をくれる。


美しい言葉は、こうして生き続けるのだなと思います。


わずか数行の詩ですが、
インターネット上のフォントや、字間、横書きでは、
この詩集の空気感が損なわれそうな気がして、
私は詩の引用は今はできません。


息を止めるように、
息を吐くように、
一行ずつ丁寧に読んでほしい詩集です。



その代わり、とても素敵に紹介してくださっている、
『倚りかからず』に言及したサイトがありましたので、ご紹介しておきます。

自分では、書けないと書いておきながら、
他の方が書いていただいているので、
インターネットでも簡単に読める喜びを堪能しているという矛盾はお許しください。


筑紫 哲也さんが、NEWS23で取り上げていたことを今回初めて知りました。
自分を信じ、そのうえで他者との関係性を考えるという視点です。

News23 多事争論 1999年12月24日(金)「信じる」

信じるものが大変少なくなった中で、何を信じ、そして、一方では、絶えずそれを疑ってかかる、というこの繰り返しが人間かなと思います。


また、茨木のり子さんの『倚りかからず』の詩そのものと、
その他の作品も紹介しているサイトがありましたのでご紹介します。

この記事中に出てくる詩、どれも思い入れがありとても好きです。
ここまで詳しくまとめてくださって、感謝したい気持ちになります。

茨木のり子さん死去 - 七五白書 (白けないために)2006-02-21


今日、『倚りかからず』の話を書いた自分は、
よりかからず、よりかからず、と、
呪文のように言いたくなるような毎日だからかもしれません。


こんな気分のときに、
よりかかれる詩集があることが、なんて素敵なことだろうと思います。


何かに、よりかかりたくなったら、
私たちには、椅子の背もたれだけでなく、
この、『倚りかからず』がある。


それだけで、二つ寄りかかれる場所があることがいいなと思います。


では、また。