こんにちは、検索迷子です。
P.F.ドラッカーの本で、身につまされる一文に出会いました
今日のタイトルは、その本の一章からお借りしたものです。
プロフェッショナルの条件――いかに成果をあげ、成長するか (はじめて読むドラッカー (自己実現編))
- 作者: P・F.ドラッカー,Peter F. Drucker,上田惇生
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2000/07/01
- メディア: 単行本
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私が改めて紹介するまでもなく、ドラッカーはビジネスマンにとって、
バイブルとも言える著書を数多く残しています。
ただ、時に、ドラッカーの書いている内容は、
あまりにも立派過ぎて、
一介のサラリーマンには状況が合致しなくて、
卒論研究の際に熟読したものの、何かしっくりこない遠い世界に思えていました。
先日ふと、図書館で返却棚へ戻すためのカートに置いてあった、
この本を手にして、既読ではありましたが読み直してみました。
ドラッカーの力強い言葉は、逆につらいかもしれないという心理状況だったのですが、
何か、目を覚ましてくれないだろうかという期待もありました。
ぱっと開いたところが、
Part5 第3章 何によって憶えられたいか
でした。
この章で、衝撃の大きい二つの話に出会えました。このページを一気に開いたことで、
旋律が走るくらい、今の自分のぴったりな話だったのです。
1つめは、
私が13歳のとき、宗教のすばらしい先生がいた。教室の中を歩きながら、「何によって憶えられたいかね」と聞いた。
誰も答えられなかった。先生は笑いながらこういった。
「今答えられるとは思わない。でも、50歳になっても答えられなければ、人生を無駄にしたことになるよ」
21刷 p.234
2つめは、
辞めるか、移るかの項
自らの成長のためには、自らに適した組織において、自らに適した仕事につかなければならない。
そこで問題になるのは、「自らの得るべきところはどこか」ということである。この問いに答えを出すには、
自分がベストを尽くせるのはいかなる環境かを知らなければならない。(中略)
「得るべきところはどこか」を慎重に考えた結果が、今働いているところではないということであるならば、
次に問うべきは、「それはなぜか」である。(中略)
もしそうであるならば、人は確実にだめになる。自らが価値ありとするところで働くのでなければ、
人は、自らを疑い、自らを軽く見るようになる。(中略)
このように自らがところを得ていないとき、あるいは組織が腐っているとき、あるいは成果が認められないときには、
辞めることが正しい選択である。出世はたいした問題ではない。重要なのは、公正であることであり、公平であることである。
さもなくば、やがて自らを二流の存在とみるようになってしまう。
自らに刺激を与えるうえでも、ある種の変化が必要である。この必要は、ますます人が長生きするようになり、
ますます長く活動できるようになるにつれて大きくなる。
21刷 pp.229-230
この二つのエッセンスを目にしたとき、私は猛烈に泣きそうになった。
仕事のキャリアを思い悩み、過去、現在、未来の全てに絶望していたからだった。
でも、今ではなく、50歳の自分を想像するために、
今は助走期間でもいいのだと考えると、少し楽になれた。
また、ところを得ていない仕事は、辞めてもいいのだとはっきりわかった。
書いてある通り、私は自分の個性を押し殺し、できないことばかりに背伸びをして、
自分の持ち味を全部消して、自分は二流以下だと思いつめていた。
ところを得ていないということに髄分と前から気づきながら、
耐えるだけではだめだと知った。
今ある環境だけで、自分の最適なものがあるわけではない。
長い目で、自分の個性を丸ごと受け止めていけば、
どんな変化だって怖くないと思った。
ところで、この図書館の本は、やけにここが開き癖がついていて、
見やすい状態になっていました。
きっと数多くの人たちが、この一章に立ち止まったのでしょう。
10年前の本ですが、そのころ40歳だった方は、50歳の自分が描けたでしょうか。
何で憶えられる人になったでしょうか。
私も、憶えてもらえる何かを50歳までには、確実に身につけたいと思います。
(それは奇抜なファッションとかではなく、知性で、ね)
では、また。