沈丁花の詩

こんにちは、検索迷子です。


今日は、沈丁花を題材にした詩を三編、紹介したい。
沈丁花の強い香りは、
冬の厳しい寒さで凝り固まった心身を、
春へにむけて開放してくれるような甘さがある。


冬の終わり、まずは薄くふわりと香りだし、
春よ来いといわんばかりに、
しだいに濃厚な香りを漂わせ、
やがて知らぬ間にその香りは終りを告げる。


本格的な春を迎えるころには、
沈丁花の存在すら忘れてしまう。
そしてまた明くる年、沈丁花の香りが漂い始めると、
ああ、また今年もこの季節が来たのだと、
一年の速さを思い知らされる。


例年、散歩道の見慣れた場所に、
なじみのある花の咲くのを見ると、
もう一年が経ったのかと驚く。


そして、生かされている自らの命を重ねてみると
いうことも、どの花も同じように感じるが、
香りが強い沈丁花金木犀は特に、
期間限定色が強い植物だと思う。


人の感情は視覚だけでなくて、
五感の要素が多ければ多いほど、心のどこかを
触発をされるものが色濃くなるのだろうか。


次の三編は、まったく違う背景を持つ詩だ。
でも描く世界観は異なれど、
沈丁花の芳香に立ち止まり、
命の重さを再確認するかのような描かれ方をしている。


生きる活力を取り戻す景気づけのような思い、
愛する人と言葉にしなかった思いへの悔やむ思い、
ただ、今日という一日を生きる喜びに浸る思いなど、
描く景色は違う。


でも、違いながらも沈丁花から、
「生きるということ」を触発されている。
沈丁花は香りを放つそのわずかな期間に、
人の心に向けて何かをぐいっと差し出すほど、
印象深い植物だということがわかる。


沈丁花は、春先の季節感を鼻腔をくすぐって
感じさせるだけでなく、
いまを突きつけるような、
そういう植物なのかもしれない。


では、詩を紹介します。

ひとつめは、吉野弘『沈丁華』です。

「続・吉野弘詩集(1994年4月、思潮社)」より。

続・吉野弘詩集 (現代詩文庫)

続・吉野弘詩集 (現代詩文庫)

沈丁華
     吉野弘


事物は明確に存在するが匂いのない
死の国。
その領地を
姿を見せない生者の群れが
欲望と汗の香りを振り撒いて
さざめきながら通過する。
私は
私の間近を通りすぎてゆく彼等の
強烈な香りにむせながら
自分が死者であることに気付く。
そのように
私を死者にし生者の芳香を差し出す
彼等は、私に
もう一度
苦しい欲望と肉の甘さを放つ生者の群れに
加わるよう誘い
また、それが可能であることを
信じさせようとして
賑やかに声をかけ
しかし強いることなく
過ぎ去ってゆく。


引用注)沈丁華の表記は原文通りです

2つめは、新川和江沈丁花』です。

新川和江詩集、(2004年3月、ハルキ文庫)」より。

新川和江詩集 (ハルキ文庫)

新川和江詩集 (ハルキ文庫)

沈丁花
     新川和江


永年なじんだ湯呑み茶碗を
ふたつ並べ
同じ濃度になるよう
交互に茶を注ぎ分ける
朝のならわし


茶碗はときに触れ合って
かすかに音をたてることもあった
あの世とこの世との距離は
かほどのもの であるらしかった


大振りのを仏壇へ
小振りのほうを 食卓へ
ときどきまちがえて
置き場所が入れ替ることもあった



散歩のコースに
それを咲かせた生垣があるらしく
亡くなる年の春先も
戻った夫の胸ポケットには
一りん それが挿してあった


沈丁花ね ともいわず
沈丁花だ ともいわなかった


会話を失って久しい夫と妻のあいだを
戸惑うように
花の香だけがゆききした
実利のみを追いつづけ
病いを得てかたくなに老いた生涯を
その一りんゆえに
妻はゆるしていたのだったが


詫びるのはむしろわたしのほうだったと
妻が気づいたのは その一りんを
見ることがなくなった没後の早春のことだ
生前よりもていねいに
茶をいれて供えるようになったのも
その春からのこと


引用注)文中の*は原文通りです

3つめは、工藤直子『今日』です。

「いま、きみにいのちの詩を−詩人52人からのメッセージ、水内喜久雄編集、(2000年11月、小学館)」より。

いま、きみにいのちの詩を―詩人52人からのメッセージ

いま、きみにいのちの詩を―詩人52人からのメッセージ

今日
     工藤直子


ジンチョウゲが匂い
ハコベの白い花が咲いていたりすると
なんだか「よし! よし!」とうなずいて
じつに気合がはいるのである


麦の金いろの穂がゆれ
アリが荷物をかついで歩いていたりすると
なんだか「うん! うん!」とうなずいて
じつに張りきっちまうのである


じつにもう なにか…
なんでもよいから始めたくなるのである
そして 太陽をみあげ
(なにはともあれ ともかく)なんて
わけもなく つぶやいて
わけもなく 安心するのである


今日もちゃんと 今日だな と

自分と沈丁花の思い出をどの詩にリンクさせて、
今年の沈丁花を楽しもうかと思う。
そして来年、どのようにこの時期を迎えるのかと、
先に思いを馳せてみるのも悪くない。


今年の香りを胸いっぱいに吸い込み、
来年もフラットな思いで、健やかに生きて、
心穏やかに沈丁花の季節を迎えたいと願う。


では、また。