新川和江 わたしを束ねないで

こんにちは、検索迷子です。


今日は、新川さんの代表作ともいえる、
「わたしを束ねないで」を紹介したい。
出典は、先日紹介した、新川和江さんの「捜す」の詩と同じく、
新川和江詩集、角川春樹事務所刊である。

新川和江詩集 (ハルキ文庫)

新川和江詩集 (ハルキ文庫)

わたしを束ねないで
              新川和江


わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱(ねぎ)のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色(こんじき)の稲穂


わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽撃(はばた)き
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音


わたしを注(つ)がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮(うしお) ふちのない水


わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
座りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風


わたしを区切らないで
,(コンマ)や.(ピリオド)いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終りのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩

注:ルビ部分の( )表記は、引用者による



この詩を知ったのは、いったいいつだろう。
思春期に、作家である落合恵子さんのご著書で知ったと思うが、
どこに記載があったか、記憶が定かではない。


あらためて、本書内にある年表、
新川和江略年譜を見てみると、
この詩は、1966年、昭和41年の新川さんが37歳の時に、
24歳から参画していた同人誌「地球」42号で発表されたようだ。


発表から48年。
いまなお、この詩は色あせることはない。


この詩が書かれた時代は、
女性の社会進出が今ほどの進んでおらず、
詩には、女性としての閉塞感が漂う。


今、女性はもっと自由に生きられる時代となった。
それでもなお、この詩は、今に生きる人の心に迫ってくる。


何か、自分の日常の手かせ足かせとなっているものから、
解放されたい、
どこか違うところへ行きたいという叫びが、
自分が抱えているそのときどきの悩みや葛藤とリンクする。


この詩はでも、
逃げたいというのではなく、
自分で進む道は自分で決めたい、
切り開きたいという切実さがあるからこそ、
より強いメッセージを持つ。


溜息ではなく、
雄叫びに近いような内面からわきあがる感情。


誰かによって自分がおさめられてしまったフレームを、
自らの意思で叩き壊したいという思い。


いつかレビューをしたいと思いながら、
詩の持つ意味の深さや、
自分が重ねた年齢によっての感じ方の変化に、
なかなかレビューができない詩だった。
読むたびに、自分のなかでの読み方が変わり続ける気がする。


以前は確かに、
何か外なるものに対しての怒りに共感しているだけだった。
でも、最近では、
誰も自分を束ねようとしていてはいないのに、
なぜ、こんなに自分はこうだと自分で限界を決めてしまい、
自分で自分を束ねてはいないか?という自分への問いかけになっている。


情報は、インターネットの普及により無限に手に入る。
職業も選択肢が増えている。
行きたい場所も、ほしいものも、会いたい人も、
絶対に無理ということは確実に減っている。
行動さえすれば、何でも近くまでいけるチャンスがある。


なのに、どうしてこんなに束ねられたような思いがするのか、
誰が束ねているのかと見渡すと、
それは紛れもなく自分なのだ。


外的要因ではなく、心の持ちようによって、
束ねていたものが自分の内面にあると知ったとき、
この詩と向き合うのはとてもつらいことになった。


それでも、ときどき自分をいさめるために、
鼓舞するためにこの詩を読み、
わたしを束ねないでと、自分に言い聞かせる。


わたしを束ねないでと、依頼形でこの詩を読むのではなく、
わたしを束ねないでと、自分との約束として読んでいたいと思う。


本書の中で、
詩人の小池昌代さんがエッセイを寄せているが、
そのなかで、
可能性をスローガンのように歌うのではなく、不可能性を深く知って、
なおも可能性に賭けようとしている、
と書いている。


確かに比喩となっているものは、
稲穂であり、翼であり、海であり、
風であり、一行の詩なのだ。
それは、現実ではない。
何か輝きの象徴として、得られないものとして、
ここまではいけないけれど、行きたいと願う、
その希望の姿なのかと思う。


こうして、何度読んでも、
ほかのかたの感想を見て考えさせられたり、
自分の心がさまよう思いがする。


この言葉の力に、
心も束ねてしまわないよう、
何度でもこの詩を反芻してみようと思う。


では、また。