効率性と何を天秤に

こんにちは、検索迷子です。


人と打ち合わせをしているとき、
工数がとかコストがとか、効率性ばかりを重視した発言をする人が、
最近やけに気になるようになってきた。


という自分もかつてはそうだった。
だから、余計に以前の自分を見るような思いで気になっているのかもしれない。


物づくりに関わっていると、
どうしても生産効率とかコスト、納期という問題ははずせない。
だけど、仕事には効率性でははかりきれないものがあるのだと、
今の仕事に就いて実感するようになった。


たとえば、数万円の仕事のために何度も訪問したり、
雑談をしたり、顔見せをしたり、
ということを実直にステップを踏んで行うことが、
数ヵ月後の売上につながるというシーンを知ると、
今だけの軸で効率性を考えることがナンセンスに思えてくる。


自分が出向くときだけでなく、
逆に取引先の人や協力会社の人が出向いてくれるときも、
すぐ売上になるような案件でなかったとしても、
相手は自社に時間を惜しまず訪問してくれたり、
情報を提供してくれたりする。


物づくりの現場にいることは、
こうした一見無駄と思えるような時間を使うゆとりはなかった。
作る、納期に間に合わせることだけに集中すればよく、
刈り取りまでの時間の使い方などを考えることもなかった。


目の前の効率、目の前の分配だけを考えて、
省力化や単純化ばかりに目が向いていた。
それはそれで効果があり、正しかったのだと思う。


だけど、職種が変わり、相手先の年代や肩書きが変わり、
効率だけで切り捨てられない時間の使い方があるのだとわかってきた。
その一見無駄とも思える時間のなかに、
将来への種まきがあるのだと思うようになってきた。


工数がコストが納期がと、主張しているだけでは見えてこないものがある。
もちろんその考え方はどんな仕事にも大事だけど、
どの地点でその発想を持ち込むかを見誤ってはいけないと思う。


常日頃、その視点しか持てない自分だったときより、
もう少し先の仕事の可能性を広げるために、
今という時間の使い方の発展性を考えている。


それがいい効果を直接生むかは、数ヶ月経たないとわからないこともあるが、
だとしても、今こうやって非効率な時間を受け入れて行動する先に、
きっと変化があるのだと思っている。


お客さんのところにいくために、
長時間の移動を伴うことも多い。
往復2時間以上かけて、話は30分以内ということもある。
だけど、そういうのは工数だけではきっと測定できない、
対面で会う価値を生むのだと思う。


まだまだ、その意味を頭でしか考えられない部分もあるが、
少なくとも、そんなの時間の無駄とは口に出さないようにしている。
それだけでも随分と、受け入れることができる仕事の幅が広がった。


時間は有限だけど、
どこかで無駄な時間と思えるものを積み上げることで、
きっと効率が自然と良くなることもあるのだろう。
そう思いながら電車に揺られて、工数がという単語を頭の隅に追いやっている。


非効率なものなんて、仕事のなかにはなく、
行動を非効率なものにしてしまうのは、
自分の結果の出し方にあるのかなと思っている。


では、また。