苦しみの日々 哀しみの日々

こんにちは、検索迷子です。


茨木のり子(いばらぎ・のりこ)さんの詩、
「苦しみの日々 哀しみの日々」をご紹介します。

苦しみの日々 哀しみの日々   茨木のり子


苦しみの日々
哀しみの日々
それはひとを少しは深くするだろう
わずか五ミリぐらいではあろうけれど


さなかには心臓も凍結
息をするのさえ難しいほどだが
なんとか通り抜けたとき 初めて気付く
あれはみずからを養うに足る時間であったと


少しずつ 少しずつ深くなってゆけば
やがては解るようになるだろう
人の痛みも 柘榴(ざくろ)のような傷口も
わかったとてどうなるものでもないけれど
    (わからないよりはいいだろう)


苦しみに負けて
哀しみにひしがれて
とげとげのサボテンと化してしまうのは
ごめんである


受け止めるしかない
折々の小さな刺(とげ)や 病(やまい)でさえも
はしゃぎや 浮かれのなかには
自己省察の要素は皆無なのだから



引用元:筑摩書房
「倚りかからず」より

倚りかからず

倚りかからず



苦しみの日々や哀しみの日々の渦中にいるとき、
その状況を冷静にとらえたり、客観視をするのは難しい。
ましてやそれが、
自分を深めてくれるとか、自己省察に必要な時間なのだと、
肯定的に考えるなんて簡単にはできない。


心の傷口の一番ひどいところを眺めながら、
早くこの傷が治ってはくれないものか、
いつになったら治るのだろうかと途方に暮れたり、
時には毒づいたりする。


誰にということではなく、自分に対して毒を吐き、
もしかしたら、その余波を周囲にも吐いているのかもしれない。
それは、攻撃性のある毒だけとは限らず、
弱音という毒のときもあるかもしれない。


いずれにしても、いい影響を自他共に与えない存在になっているのは確かだ。
この、ネガティブオーラをまとったような自分と、
自分の日常から漂う負の空気と、能面のような仮面のような表情では、
もう何も変わらないと気分がどんどん暗くなる。


けれど、時間が経過するとともに、
心の傷口もなんとなく治りかけてきたと気づくときがある。
もしかしたら、その傷に慣れてしまったのかもしれないけれど、
それでも、一番傷が深かった頃に比べれば、いくぶんましになってきた、
そう思えるときがある。


開き直りなのか、諦念なのか、
もう、なるようにしかならないと思うようになる。


そして、苦しみや哀しみの日々のなかで、
ふと自分の表情を鏡で見たとき、あなたは誰?とはっとする。
このとき、やっと自分はこのまま朽ちてはいけないと気づく。


毎日、鏡で見ていたはずの自分を、
姿形はとらえていたとしても表面しか見ておらず、
内面がいつのまにか見ないようにしてきた日々に気づく。
その間、知らず知らず自分の顔つきが変わり果て、
トゲトゲのサボテンと化していることに愕然とする。


苦しみの日々や哀しみの日々で、
プライドまで捨ててはならない。
そう、思い返す。


苦しみの日々や哀しみの日々を通り抜けたとき、
やっと、現実を直視して対処していけるようになる。
少しずつだが、たった一つかもしれないが、
突破口となるような変化が見えることがある。


何かを行動に移そうと未来形の言葉が出てきたり、
今日は何をしようかと考えていけたりする。
縛られていた過去を、現在の形として再度とらえなおし、
未来に進もうと思うようになっていく。


この苦しみは過去からやってきた。
この哀しみは過去からやってきた。
そういう、シンプルなことがわかるだけでも、
うつむいていた顔をあげて、
まっすぐ前を向いていこうと立ち上がれるときがある。


受け止めるしかない。
茨木さんのその一言は、力強い。


痛みを知ることで、きっと人として深くなっているのだと思いたい。
その痛みを、誰かへの優しさにしていきたいと思う。


5ミリくらい自分が深まっていくのなら、
今のこの苦しみも悲しみも受け止めてみよう。


きっと、これはみずからを養うに足る時間だったのだと、
ほがらかに笑える日が来るのだと信じて。


誰もが同じ苦しみや悲しみを経験しないということは、
きっと、これは私に乗り越えるために与えられたテーマだったのだと、
どんなマイナス要素も、プラスにしていければと思う。


とげとげのサボテンと化してしまうのは、ごめんである。
そう言える強さがあるなら、いつか、花を咲かせられる自分になれる。


苦しみの日々、哀しみの日々を乗り越えるのは、
自分らしく生きてやる、
そんなプライドが支えているのかもしれない。


これは、いつか過去にできる通過点にすぎない。
光さす瞬間を見逃さないよう、顔をあげて生きよう。


心臓が凍結したような気持ちになっても、
それを自覚できるほどに、今、私たちは生きているのだ。
痛みを知るということは、生きているからなのだ。


つらいことなんてない時間がほしいけど、
たぶん、そんな都合のいいことなんてありはしない。
ならば、受け止めるしかない。
受け止める強さを持とう。


苦しみの日々も哀しみの日々も、過ぎてしまえば過去になる。
永遠には続かない。続かせない。
断ち切って、新しい明日へと向かおう。
どんな今日だって、明日になればもう過去のこと。


痛いのは、ほんの一瞬だったのだと自分に言い聞かせていこう。
傷が癒えてから立ち直るのを待つのではなくて、
傷を癒すために立ち上がろう。


こんな日々と思う時間に終止符を打つのは、自分しかいない。

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詩集の表題、茨木さんの代表作ともいえる「倚りかからず」については、
過去にレビューしています。
よろしければあわせてお読みください。
倚りかからず(よりかからず)


では、また。