失敗の後、どう動くか

こんにちは、検索迷子です。


以前、仕事の失敗談を持ち寄り、そこから学んだことや、
次にどういう行動をとるかといったセッションに参加したことがある。


この話をしてみてわかったのだが、
皆、それぞれに口を閉ざしたくなるような、
苦々しい失敗をしてきているのだということだ。


思い出したくないくらいつらい体験をしたり、
人に責められたり、職場を去るようなことになったり、
その社名や、人名や、関わったサービスなども口にしたくない、
何もかも忘れてしまいたいという経験は、
誰しも多かれ少なかれあるのだとわかった。


他人が要件だけかいつまんで聞くと、なんだそんなことと思うかもしれない。
でも、本人からすると、人生を揺るがすくらいの出来事だったりする。
そんな出来事を誰しも抱えているのだと知った。


そのセッションは、別に過去のことがどうのというよりも、
その体験を事例の一つとして思い出し、
何がどういけなかったか、
今だったらどうするか、
この手法を使ったらどうできるか、などと、建設的に対策を考えるものだった。


でも、誰もが少し浮かない気分で、
全員に本当のことを語らなくてもいいにもかかわらず、
思い返したくないけど思い出してしまう出来事に、
しばし遠い目をする不思議な時間が流れた。


誰もが失敗をする。
そして、その失敗をどうにか消化して、次に進む。
だけど、その消化の仕方は人それぞれなのだと思った。


未練、恨み、妬みといった、やりきれない思いを抱えたままで、
消化不良を起こして、投げやりな言葉で思い出を語る人。
それはそれで過去のことと、十分乗り越えた発言をする人。
あの時間を見返すと息巻いている人。
同じ、過去の職業体験の失敗といっても、それを今どうとらえているかは、
心の持ちようがまるで違う。


失敗は誰でもする。
どんな大きさ、どんな痛み、どんな苦しみかは本人しかわからない。



だけど、はっきりとわかるのは、
失敗を乗り越えて次に進もうとする意思を強く持てる人や、
失敗以上の次の成功を目指す人は、明るいオーラをまとっている。
一度それを失敗したのだから、そこから学び、同じことはしないと思っている。


反面、失敗をしたことと同じことをしないよう、
以前よりも小さく小さくまとまろうとしている人、
自分を責め続ける人、失敗したことと同じことを迂回していく人は、
もうそれ以上に世界は広がらないのではというくらい、
心を閉ざしている。


過去から学ぶにしても、人の姿勢とはこれほど違うのだと思わされた。
失敗して萎縮して生きる人と、
失敗してより強く生きる人と。


いい仕事、いいチャンスをつかむためには、
失敗するリスクだって伴う。
だから、失敗なんてなんてことないと割り切っていく強さがないとやっていけない。



そういえば、以前の後輩に、
一度失敗したことは、もうできませんからと何度チャンスを与えても、
はねつけ続ける人がいた。
失敗する自分が許せないのもあるだろうし、
人に失敗を見られることにプライドもあったのだろう。


でも、その後どうしたのかは知らないが、
私の知る範囲では、どんどん仕事内容が閉じていったように見えた。
人と接する仕事を拒み、コミュニケーションの幅を狭め、
そして、その後どうしたのだろうか。


失敗なんて、なんてことない。
と、自分も他の人も、そのセッションのあと、
失敗を笑い合って、前向きになれた気がした。


誰かに話をしてみれば、意外となんてことないことだってあるし、
誰もが同じような体験をしていると知っただけ、
自分だけが能力が低いわけではないと気分が楽になれるものだ。


失敗したら、その次の行動や消化するプロセスが自分らしさを決めるような気がした。
失敗一つで、何かを失っても、それが全部じゃないんだ。


だめなことの次には、いいことがあると信じていくしかない。
もったいないのは、失敗したことで、
自分の可能性を閉ざしてしまうこと。


失敗を笑えるうちは、まだ次にいける。


では、また。