こんにちは、検索迷子です。
学生時代、体育の必須授業で苦手な種目があった。
毎年、数回やる種目だったのだが、
自分の記憶のなかでは、小学校時代から苦手だと思っていて、
できたら中止にならないかとばかり考えていた。
ある年、その授業で先生がいきなり、
私に模範演技をするようにと言った。
え?嘘でしょ。
先生、私、苦手なんですけど、、と言うと、
何言ってるんだ。お前が一番上手だぞ、だからやりなさいと言われた。
わけもわからず、普通にいつもの自分でできることをやった。
すると、先生は、さぁ同じようにやりなさいと他の子たちに言った。
先生は大真面目だし、何がなんだかわからなくなった。
授業が終わって、先生に聞いてみた。
先生、私、ずっと苦手だったんですけど、と言うと、
え?てっきり先生は、少年団か何かでトレーニングを受けたのかと思ってた。
それくらい上手だぞと言われた。
えー、先生。そんなぁと心の中で思った。
なんと、それは高校3年生のときで、小学校から続いたその授業は、
たぶん、もうじき卒業のため終わりの時期だった。
そして、事実、大人になってからその競技をすることはもうなかった。
苦手だと思ってきた何年かはいったい、、と本当にがっかりした。
生涯最後みたいなタイミングで、上手だと言われても、
もう過ぎた時間は戻らないのだと思った。
もし、これが小学生のときだったら、その選手になれたかもしれないのにと。
どうして自分はそれを苦手だと思っていたのだろうと考えると、
学年で際立ってうまい子たちがいて、
そこ子たちは実際に少年団みたいなところで練習をしていた。
道具を買い揃え、授業でも際立ってうまかった。
だから、その学年で数名の子がクラスに一人でもいると、
自分は下手なんだと思っていた。
体育全般は成績は悪くなかったため、
その競技がどれくらいできるかを客観的に知ることはなかった。
それが、高校3年で一年間だけみてもらった先生によって、
初めて教えられた。
もっと練習すれば、競技会にも出れるのにと言われて、
ああ、そうなんだ。
そういう可能性だってあったのかと思った。
私自身、これはもの凄く教訓となっている。
人の能力って、いつも同じ環境にいてはわからないことがあるのだと。
そして、出会うべきタイミングで、
いいコーチに出会わないと、すべてが水の泡になりかねないのだと。
自分はできないと思い込んで、
むしろコンプレックスだったことが得意なことだったなんて。
知るタイミング、活かすタイミングが物事にはとても大切なことだとわかった。
今、自分の仕事や学んでいることで、光が当たらずに停滞している人は、
思い切って環境を変えたり、
コーチしてくれる指導者や上司を変えるのもいいかもしれない。
自分は昨日までと何も変わっていなくても、
劇的に自分の能力に光があたることがあるから。
自分の努力で光があたる力もある。
だけど、運命のいたずらで自分の努力だけでは、一生光があたらなかったり、
光があたったときにはタイミングが悪いこともある。
いいコーチ、いい仲間、いい上司、いい環境。
もっと、光を求めてさまよってもいい。
だって、自分の本当の力は時として自分では見えないものだから。
自分の持っている能力を気づかせてくれて、
コンプレックスを払拭してくれて、
より、自信を持っていきいきとできる場所は、どこかにあるはずだと思う。
いいコーチに出会いに行こう。
そして、自分の未知な力に光を当てよう。
取り返しがつかないタイミングではなく、
今すぐ、今こそ。
テレビでその競技を見るたびに、過ぎた時間が時々せつない。
では、また。