使えない人と言う人こそ

こんにちは、検索迷子です。


よく、あいつは使えない奴だと、他の人のことを言う人がいる。
まるで、人がモノのように聞こえるため、あまり好ましくないなと思う。


また、使えないと言っている人こそ、傲慢に見えて、
あなたはどうなのと問いたくなることもある。
人を自分の視点や見えている角度だけで判断し、
使えないと言い切るのは相当な自信が必要だ。


使えないのは、たとえば、部下なら自分の指示の仕方に問題はないのだろうか。
たとえばチームのメンバーなら、協力体制に問題はないのだろうか。
たとえば上司なら、うまく報告、連絡、相談をしているだろうか。


もしそれが、何かの操作なら、教えてあげる努力はしただろうか。
あるいは、本人が気づくためのアドバイスはしただろうか。


さんざん手を差し伸べたとしても、でも、使えないと言うならば、
それは、言っていいのは、平社員ごときではない。
雇った会社側に言ってもらえばいい。
さて、それくらい、使えない度合いはひどいだろうか。


使えない人と、人は安易に言い過ぎる。
言っている人こそ、自分って使えない人を放置したり、
使えないって目線で判断する人間なんですよと、
自分を低く見せていることに気づいたほうがいい。


使えないと言われている人より、使えないと言っているほうが、
私からみたら惨めにみえるのはなぜだろう。


私なら、あいつ使えないと言っている人こそ、
そういう言葉を言わない、人としての節度がある使える人間にトレーニングし直したい。


査定をする権利のない人や、
協調する意志をもって動かない人に、
使えないなんて簡単に言ってもらいたくないと思う。


誰かが誰かのスキルを一方的に判断するなんて、
それが噂が噂を呼び、本人のイメージになることを考えたら広言してはいけない。
使えないと思うのは、自分の目線でだけだと思ったほうがいい。
仮に同じことを数名言っていたとしても、
その人が解雇されない以上、誰かは使える部分を見極めて採用し、
誰かはその人の良さを違う角度から見ている。


自分のことをもし、使えない人と言われていると知ったら、
気分が悪いだろう。


そういう子どもじみた言い回しで、自分の品格を落とすようなことをするまえに、
使えないと切り捨てた発言をするまえに、
どうしたらこの人はこれができるようになるのだろうかと、
自分のありかたを見直して接することができるほど、
突き抜けた大人になりたいと思う。


使えないのなら、捨ててしまえばいい。
ただし、心の中だけで。


言葉にするくらい使えない人と思うなら、
あなたの使える度合いがどこなのかを教えてほしいと思う。


耳にするだけで、嫌な言葉だなと思う。
使えない人なんて、どこにもいない。
みんな違うのだから。
みんなそれぞれ持ち味があり、家族があり、その人の生きる意味はあるのだから。


自分にとって使えない人と言い直すくらい、限定的ならまだしも、
人格全否定みたいな発言をする人が多すぎる。
人はモノじゃない。
電池交換すればいいわけでもない。
リセットボタンがあるわけでもない。


丁寧に、心を通わせた人間関係のなかでこそ、
生き生きとしていく。


使えない人という、そんな人が身近にいるなんて、
自分を取り巻く職場環境がストレス状態にあると、口にしているみたい。
一人そういうひとがいることが、ストレスだと言っているようなものですものね。
うまくいっているチームには、そういう人はいないものです。


使えない人より、使えないという人こそ、使えないと思う。
仕事はできると思っていた人が、
そんな言葉を口にするだけで、センスのない言葉にがっかりしてしまい、
こんなこと平気で言う人だったのかと、その人の評価を心で下げていく。



では、また。