草なぎ剛さんの「いい違和感」を伝える言葉

こんにちは、検索迷子です。


ここ最近、続けてSMAPさんの話題を
書いてきたが、今日は二週間ぶりに、
草なぎさんのことを書こうと思う。


SMAPさんの話題は、出来事の鮮度がある
うちにと書き出すので、できるだけ時間を
空けないようにしているが、草なぎさんの
話題については、なんとなく頭のなかに
気になることのストックがいくつかある。


よし、今書こうと思うタイミングが
来るのを自分で待っているフシがある。
だから全然、ファンのかたにとっては
イムリーではないこともあると思う。
私自身が書き留めたいタイミングで、
蔵出しするような感覚でしか書けないので、
なぜ今この話題かというのには、あまり
意味がないこともあるのをご了承ください。
今日は、その一つを取り上げる。


草なぎさんが翻訳した『月の街 山の街』の、
「訳者あとがき」がとても奥深くて素晴らしい
ので、ずっと取り上げたいと思っていた。


イ・チョルファン:作、草なぎ剛:訳、
ワニブックス刊、2011年2月発行。
29の短編からなる作品集だ。

月の街 山の街

月の街 山の街


カラーの美しい挿画も多数あり、
短編だが、大人が読む書籍として十分
読み応えがありながら、
良質な児童書のような風合いがある。
挿画によって一編ごとが引き立ち、
ストーリーを補って、書籍としても
読みやすさの工夫がされている。


この作品は、
以下の一部が原作となっているようだ。
練炭の道1(改訂版)(韓国本)』
イチョルファン、ユンチョンテ著、
ランダムハウスコリア刊、2006年11月発行。

練炭の道1(改訂版)(韓国本)

練炭の道1(改訂版)(韓国本)

  • 作者: イチョルファン,ユンチョンテ,暗闇の中ですすんで光となった人たちの話、光になれないけれど、更に深い闇となって他の人々を輝かせる人たちの話、貧しいからいっそう心豊かである人たちの話。心温まる身近な短編ストーリ-37話収録。草なぎ剛の翻訳本「月の街山の街」はこのシリーズが基になっている。
  • 出版社/メーカー: ランダムハウスコリア
  • 発売日: 2006/11/01
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る
韓国の教科書に取り上げられたり、
舞台化されたり、中国語にも翻訳されて
いるようだ。


と、ここまで書いて今更だが、
書籍のレビューを今日は行わない。
私は、書籍レビューもこのブログで多数
していて、レビューは好きなのだが、
そこを書きすぎると、草なぎさんを
記事タイトルにした意味が薄れるため、
今回は、「訳者あとがき」の言葉だけを
取り上げたい。


私は、草なぎさんが芸能活動をして、
アウトプットしてきたもののなかで、
もっとも驚かされたのが、この翻訳本だった。
役者の演技でもなく、韓国語のマスターでも
なく、歌などのパフォーマンスでもなく、
この本が発売されると知ったときの衝撃は
大きかった。


韓国語をマスターしていく過程は、
チョナンカンの深夜番組をリアルタイムで
視聴し、『ホテルビーナス』の映画も、
公開と同時に観ていたので知っていた。


が、翻訳となると全く別のスキルが必要と
なり、翻訳本を書こうとしたその意欲や、
どれほど時間をかけて努力をしたのかと
思うと、本当にびっくりしたのだ。


私自身、翻訳できるレベルの言語がなく、
日本語だけで、本やネットやさまざまな
形式で情報に関わる仕事をしてきたが、
それでも、人に何かを伝えるのに常に
苦戦している。


言葉ひとつ、単語ひとつに過敏になり、
丁寧でありたいと思いながら暮らして
いるといっても過言ではないくらい、
言葉の重みと日々向き合っている。


母語の日本語だけですら大変なのに、
母語と異国語のニュアンスの違いや、
文化の違いの理解をすることが、
どれほどたいへんな作業だっただろうと
思うと、そこに挑戦したこと、
結果として書籍の発行まで持って行った
というのが、どれほど凄いかわかる。


日本語ですら、本一冊作るのに最短でも
三か月くらいは集中した作業が必要だ。
ましてや翻訳となると、単語ひとつずつに、
日本語にそのニュアンスを伝える言葉が
あるのかを吟味する作業が想像され、
翻訳に取り組んだこと自体が、
草なぎさんの韓国語への本気度がわかる。


29編の短編は、ストーリーとしても、
登場人物にしても連続性を持たない。
そのため、これを異国語の書籍として
読むだけでも気力がいると思うのだ。
ましてや、本一冊の分量を訳してと
なると、いったいこの一冊には、
どれだけの時間がかかったんだろうと
考えるだけでも驚かされる。


この本には監訳者のかたがいて、
先に下訳があったのか、草なぎさんが
先に訳したのを監修してもらったか
順番は定かではないが、
そのかたの手元に29編の訳を届ける
ということ自体、凄いことだと思う。


仮に自分が、英語の短編29編を訳すと
考えてみると、全くできそうな気が
しない。ましてや販売できるレベル
なんて、ほど遠いと思う。


よく、異国語をマスターしたかたは、
読めるし、喋れるけれど、書くのは苦手、
というかたがいる。
それほど書くのは難しいというのに、
翻訳作業ではさらに、
作者によるストーリー性や考えかたを
理解したうえで、母国語の自分の言葉に
置き換えるという気の遠くなる作業となり、
草なぎさんの韓国語の高い習熟度もわかる。


と、本のレビューはしないと言いつつ、
本を作る話に少し脱線したため、話を、
訳者あとがきに戻そうと思う。


草なぎさんの言葉の選びかたや、
人をどうとらえているかという考えかた
には、深い慈愛を感じることが多い。


私がずっと、この書籍のあとがきを
とりあげたかったのは、
私が思う、草なぎさんらしさが、
このあとがきに凝縮されていると思い、
なぜ、このひとはこんなにも素晴らしい
言葉を持っているのかと感動したからだ。


本編の感動した話は、また別に機会を
ゆずるが、「訳者あとがき」にこんなに
くぎづけにさせられるなんて、
本当にびっくりしたのだ。


以前、草なぎ剛さんの「はじめに」の言葉
でも、『クサナギロン』の書籍の、
「はじめに」を取りあげて書いたが、
「はじめに」や「あとがき」は、
たいていは、ほぼ書籍化の工程が進んだ後半、
仕上がりが見えた段階で書くものだ。
だから、実際にあとがきを読むと、
この本にどのくらいかかわってきたか
という濃度がより鮮明にわかるのだ。


「訳者あとがき」を読んだことで、
草なぎさんは、自分の目で、心の芯で、
韓国を感じ、作者のストーリーの世界観を
理解したり、理解しようとしているのが、
はっきりとわかった。


自分で本を読んだからこそ書ける、
そういう言葉がここにあり、
草なぎさんが自分なりに咀嚼している
様子もはっきりとわかるのだ。


あとがきのなかで、私が好きな箇所を
抜粋引用したい。

 翻訳する中で何度も感じたのは、この作品にはいい意味での違和感があるということ。「麦茶が息を吐くように激しくぶくぶく沸く」という擬人的な比喩があったり、登場人物の行動が「え、それってどうなんだろう」と思うくらい突拍子もなかったりするのですが、そこが韓国の魅力で、僕が韓国を好きな大きな理由でもあるのです。
 日本では”みんなにわかりやすく”表現することが優先されがちですが、韓国の作品では万人には受け入れられにくいこともそのまま描いてしまう。だけど、僕は人の真意というものは正にそういうところに宿っていると思うのです。普通じゃない行動、引っかかる表現……そこに人間らしさが表れているから、その違和感に自分がバシッとはまると、とてつもなく感動するのではないでしょうか。

 人が人を好きになるポイントや、人の可愛いらしさって、その人の弱点やコンプレックスの中にあったりすると僕は思うんですけど、韓国の作品ではそれがうまく表現されている。僕の中でもそれはなくてはならない気持ちで……だからこの作品に出会い、翻訳を手掛けることができたのは大きな喜びでした。
 韓国のものや作品は僕をすごく成長させてくれます。無意識のうちに感じるところがあるというか、僕の本能で必要と感じているので、これからも韓国の人や作品に関わっていきたいですね。

 愛情深く、韓国ならではの魅力、”いい違和感”に溢れたこの作品を、みなさんにも楽しんでいただけるとうれしいです。

と、三か所を引用したが、
草なぎさんはこの翻訳を通して、
「いい違和感」をずっと抱えていたようだ。
あとがきでも、違和感という言葉が三回
出てきている。


そして、草なぎさんが、違和感があると
思ったものに対して、その違和感を
面白がり、許容し、受容するだけでなく、
尊重して愛するというレベルまで、
人を見つめる視点があるというのが、
何よりも素晴らしいと思ったのだ。


とかく、自分と異なるものを排除したり、
批判したり、無視したり、許せないと
思ったり、自分こそが正しいと思いがちで、
自分目線の狭い範囲でしか物事を考え
られなくなりがちだが、
草なぎさんはその違いを違いとして、
しっかりと受け止めることができる
深い心があるのだ。


なんだろう。この深い心の源泉はと、
こちらが、その草なぎさんの心の深さに、
驚きと違和感を抱くくらい、
圧倒的な言葉の深みを感じるのだ。
自分と違う存在、考え方、行動、立場、
そういうものを、まるっと受け止め、
ああ、そこが人の魅力なんだ、
かわいらしいなというところまで昇華
させられる、その心の強さを感じる。


優しいだけでは違和感は受け止めきれない。
むしろ、強いからこそ、相手と自分は、
別の人間として違って当たり前と、
しっかりと受け止めて、相手の良さを
理解しているのだと思った。


万人に理解されにくいところに、人の
真意が宿っている、なんてそういう視点で
果たして、理解しがたい行動をとるひとを、
自分は見られるだろうかと思うと、
この表現ひとつにも、はっとしてしまう。


また、「人の弱点やコンプレックスの
なかに」人を好きになるポイントがある、
というのも、芸能界で、いろんな強い
個性のかたと接してこられたからこその
言葉のようにも見えて、興味深い。


ふと、みんなと同じようにとか、
平均的であるようにとか、
目立ちすぎないようにとか、
誰にでも好かれるようにとか、
大人になって社会性が増すのと反比例
するかのように、子供時代にあった
個性が薄まるひともいるだろうなと
思うと、この言葉はやけにしみる。


人と違ってこそ自分、と思えるほど、
堂々と生きてこられただろうかとか、
人をそう見れてこれただろうかとか、
いろいろと考えさせられてしまう。


草なぎさんの視点とか、選ぶ言葉は、
含蓄があって、それを恐れずに書ける、
その感性が素晴らしいなと思うのだ。


最後に、草なぎさんが言葉をたいせつに
思っているのがわかる一節を紹介して、
終りにしたい。

できるだけ読んでいて心地良い言葉を選ぶように気を遣い、丁寧に作り上げたものです。


言葉に敏感だからこそ、
心地良い言葉がわかるんだと思う。
言葉に気を遣えるからこそ、
人の気持ちも個性も理解できるんだと思う。


翻訳本としても素晴らしいが、
この翻訳を通して、草なぎさんが
吸収したものが、このあとがきに
詰まっている。


あとがきだけで、こんなに長文が
かけるくらいに、
私は、このあとがきで語られる、
草なぎさんの言葉の選び方や、
お人柄が透けて見える考え方に
惹かれ、とてもこのあとがきが、
気に入っている。


作品の世界観も、
このあとがきの「違和感」を受容する
草なぎさんの世界観も、
「いい違和感」を織りなしていて、
自分も多様な違和感を受け止められる、
強い人間でありたいと、
そっと、思わせてくれるのだ。


では、また。