こんにちは、検索迷子です。
自分がある決意をして人と話をしたとき、
本題を切り出す前に、
自分とまるで逆の結論とか話をされることがある。
プライベートでというより、
仕事で接点はあるけど、
日ごろはあまり話さない上司だったりする。
たとえば、担当を替えて欲しい、
これは自分が適任ではない、
と思っていたとき、
実はその仕事の適任者として評価されていて、
それを業務上の売りにしたいといわれたりすると、
え?そうなの?と思う。
自分としては、
これは意に反していたり、
方針と違っていたり、
評価されることではないと思いながら、
そうせざるを得ない状況で対応してきたことが、
ふたをあけたらびっくり、ということだ。
でも、そういうタイミングで評価を聞かされても、
もう心は次に向かっているため、
遅すぎるよ、と思ったりする。
そこから、過去に遡り、
いい思い出にスイッチはできない。
これは違うんだろうなと思ってきた日々が長ければながいほど、
いい意味でのズレであったとしても、
ズレを察知できなかった、
負の感情を持っていた、
あるいは落ち込んでいたのに、
という気持ちがあって、
それを挽回できなかったりする。
いい評価であればあるほど、
タイミングを外してしまっては意味がないのだと思う。
それを後から聞かされたところで、
心が揺れて、仕切り直しをしようと思えたことがない。
やっぱり、いったん、
負の感情が湧いてしまったものは、
そこで終わってしまう。
タイミングを外すと意味を失う言葉がある。
だから、いいタイミングで言ってもらえるよう、
自分という人間をわかってもらう必要があるのかなとも思う。
褒め言葉であればあるほど、
まとめてどかんとなんていらない。
言葉は思ったときに伝えないと意味がそがれ、
何の役割も果たさないことがある。
それをまたひとつ、痛感した。
では、また。