身代わりになったもの

こんにちは、検索迷子です。


物持ちがいいほうなので、一度買ったものは長く使うことが多い。
あまり失くし物をすることもなく、壊れたりということもあまりない。


そのせいか、愛用していたものが壊れたり失くしたりすると、かなりがっかりする。
失くし物ならまだ探しようがあるが、
目の前で壊れてしまったものを見ると、しばし呆然としてしまう。


同じ壊れるものにしても、ガラスや瀬戸物ならまだ納得がいく。
いつかは割れるかもしれないと思っているからだろう。
でも、それ以外の壊れそうにないものが壊れるとびっくりしてしまう。
あ、もう使えなくなってしまったと思う。


不思議なことに、同じアイテムを会社を辞めるときに壊した。
両方とも最終日に、だ。
机周りで毎日使っていたものなのだが、
素材的に簡単に壊れるようなものではなかった。


前職では、それを持って帰ろうとして梱包している最中に、
ひびが入っているのをみかけた。
それで、その会社で捨てて帰った。


その前は、梱包して持って帰った後、自宅で荷物を解いているとき、
部品が壊れていたのを見つけた。
それで自宅で捨てた。


二度ともまるで壊れる気配もなく、そこで毎日使っているものだった。
なのに、最終日に申し合わせたように壊れた。


よく、食器が割れたときに、
食器が自分の身代わりになって悪運を払いのけてくれたんだと、
言う人がいる。


迷信めいたと思っていたが、
なんだか、今はその意味がわかるような気がする。
そこで愛用していたものだから、余計に捨てなさい、次にまた新しいものを買いなさい、
そういうサインなんだと思うことにした。


何か私の代わりに会社生活を背負っていてくれたのかと思うと、
その壊れたものたちに感謝したい気持ちになる。


壊れたものは仕方ない。
新しいものを手に入れればいいのだ。


ものは思い出を作ってしまう。
たぶん、それが残っていたら使うたびに、前職の場を瞬間的に思い出しただろう。
壊れたものたちは、私にその会社にいた時間を忘れて、
前だけ向いていきなさいというメッセージをくれたのだと思う。


壊れたものは修復できない。
捨てて、新しいものを手にして、また新たな気持ちでいこうと思う。


ちなみに失くしたものは、
私が大切にしなかったあまり、その物が機嫌を損ねて逆襲して、
雲隠れしてしまったのだと思うことにしている。


毎日手元においていないもの、時折手入れをしないものは、
あるとき突然なくなってしまう。
いつか出てきてくれるといいなと思いつつ、
物を大切にしない心を見透かされたような気持ちになる。


大切に使っても壊れるし、
大切にしないと失くすし、
たった一つのものとのつきあいかたでも、
自分という人間がわかるような気がする。


失くしたあれはどこにいったんだっけ、と探しているものがあったら、
探すよりも、最後に使ったときを思い出せなくて、
ああ、なんか雑な扱いしてたのかもと少し反省する。


壊れるものにも、失くすものにも、何か少しだけ理由があるのかもしれない。
磨り減る靴底で歩き癖がわかるように、毎日使っているものは、
何か自分のことを見ているのかもしれない。


身代わりになって、まるでそこと決別して、
思いを晴らすかのように、最終日に壊れてくれたのだろう。
もう、自由に次に行きなよと。


愛用していたものだからこそ、捨てる一瞬が名残惜しくて、
壊れた破片をみて修理できないかと考えてみたりするが、
どう見ても直せそうにない。


だからこそ、未練を捨てて、
ゴミ箱に捨てるとき、どうもありがとう!と、一気に捨てて立ち去る。
ひび一つ、気づくこともなかった日々よ、じゃあねと思う。
新しいものをまた、手に入れるぞと思う。


では、また。