自社で物を作る意味

こんにちは、検索迷子です。


自社内で物づくりをすることが多かったが、
今やっている仕事は基本的にパートナーさんが中心である。


仕事一つひとつにあったところを選べるメリットはあるが、
頼んだ先が思いがけず期待はずれだったり、
担当者間で相性が悪かったりして、
プロジェクトに亀裂が入り、遅れが生じることもある。


そこをどう巻き返すか考えていくのも、
自己鍛錬にはなるのだが、
仕切りがどうのというよりも、作っているもの自体が、
いつも自社ではこの程度はできるというものが安定しないのが気にかかる。


ある会社のところではうまく行ったところでも、
他のところだとまるで力を発揮できなかったり、
どこかでは気に入ってもらえた力量が、
他ではまるでということもある。


自社のなかで制作体制を抱えていないというのは、
教育コストがかからない楽な点もあるが、
人が固定化されないために、質が一定にならない不安もある。


自社でだけ作っている頃には考えたことすらない、
どんな品質のものができあがるかわからないという、
不安感が生まれてくる。


当然、外部であるゆえに教育体制に口出しすることはできず、
ノウハウが蓄積されていない、
情報共有がされていないといったことが目に余っても、
直接的には働きかけられない。


そんななか、それでも物づくりは納得のできかねるレベルで進む。
やり直すより、このままいくしかないと部分的に開き直る。
こことの取引を選んだことを恨めしく思うときもあり、
だけど、作り終えることに集中していこうとする。


自社で物を作ることのほうが、
ずっと外部に出すよりも意味のあることだと今更ながら思う。
アウトソーシングということの価値もわかるが、
アウトソーシングをする先を間違えたときの苦労も、
同時に考えていかねばならない。


今の時点で、自社に体制を持つことと、
他社をコントロールしながら、進めることのどちらがいいかと聞かれたら、
迷わず自社で信頼できる人とともに、
同じ方向を向いて物づくりをしたいものだと思う。


今回うまくいったものに再現性はないのなら、
それは本当にプロと言えるのだろうかと考える。


これがもし料理だとしたら、
毎回同じメニューで違うものが出てきたら、
固定客はつかないだろう。


左から右に流すような仕事をしていると、
物づくりの愛着も、物づくりのプライドもそがれていくような気がする。


そういう危機感を忘れずに、
自分が今何をすれば、いい物づくりができるのか、
それを日々考えている。
自社は何を作って、何を売っているのか、
そしてそれに価値を自分で見出し、誇りを持てているのか。


原点はどこにあるのかと見失わないよう、物づくりをしていきたい。


では、また。