制約と自由度

こんにちは、検索迷子です。


何か仕事に取り組むとき、
さまざまな制約条件をどう受け止めるかで、仕事のやり方は変わる。


必須事項と受け入れて制約条件のなかでベストを尽くすと思うのか、
やりたいことがやれない縛りと恨みがましく思うか。


新しいシステムを受け入れる際、この考え方の違いにもめるケースに出くわす。
開発者は機能を絞り込み、プランナーは自由度の高さを求める。


視界が違うため議論は平行線をたどり、相容れない。
でも、作り上げるゴールに向かっていくしかない。
何度もこういう場に出くわすと、私はどこを向いていいのかわからなくなる。


技術者がいなければサイトは作れず、提案内容や制限が痛いほどによくわかる。
でも、そこに反発して、あれこれ機能を盛り込みたいとする人の気持ちもわかる。


こんな内紛みたいなことで、やりたいサービスに翳りをきたしたくない。
誰の肩を持つこともできず、私は私でたった一つの死守したい機能は何かと考える。


私は百の制約があれば、99までは飲める。
昔は百を全て叶えたかった。
でも、サービスは私物ではなく、皆それぞれに思いがある。
こだわりはたった一つでいい。
その代わり、この一つは譲らないというものを考え抜く。


これが動かないなら、このサービスの心臓部が止まるところだけは守る。
見栄えやデコレーションなんて、突き詰めればたいしたことではない。


基本機能が動かないと、意味がない。
たとえば、翻訳サイトが翻訳できなければ無意味なように、
サービスにはサービスの最大の価値を生む機能があるはずだ。


帰宅間際、作戦会議中の技術者に出くわした。
制約を話したあまり、なんで自由度がないのかと吠えるプランナーと、
バトルを繰り返した後の疲れた姿を見ながら、
内輪話や制約を嫌う背景を話ながら、少し理解を得られた。


先読みしてリスクを話してくれたことが、
否定的にとられ意味もわからず落ち込んでいた人たちは、
次なる作戦会議を始める意欲を取り戻した。


私の立ち位置はあいまいかもしれないけど、
チームが目的を見失わないためなら、職種や立場は関係ない。
なぜこんなにずれるのかと、説明をするしかない。


制約のなかで自由度を実現していこうと思う方が、
あれもほしいこれもほしいと思うより、結果的にはうまくいくと私は経験から知った。
でも、それは信頼できる技術者からの提案ならできるけど、
出会って数週間の人は確かに難しいかもしれない。


いずれにせよ、
声が大きい、立場が強いひとが抑圧して、吠えて、勝ってしまうのだけは回避したい。


自分の目指すいいものやを、強みになる特長がクリアなものを、誰にも明け渡さない。
私のこだわりはただそれだけ。


でも、その一つがまだ見えてない。
バトルなんかよりも、定まらない覚悟や迷い、この事実が一番恐ろしい。


制約と自由度のバランスをとりながら、誰もが描くいいものを実現することが、
どんなにか大変で、どんなにか時間がかかり、
それでも立ち止まることのできない場面にいて、誰もが戸惑う。


この軋轢の向こうに、きっと光はあるはずだと、
制約と自由度のバトルに巻き込まれながら、静かに考えを深めていく。


では、また。