いいものはどうしたら作れるか

こんにちは、検索迷子です。


いいもの作りは時間がかかるのか、
時間をかけるからいいものが作れるのか。
時間をかけなくてもいいものはできるのだろうか。
締め切りは区切るべきか、締め切りを白紙にしていいものにこだわるべきか。
この答えを探しあぐねている。


何度もデザインをやり直している。
デザイナーの質が悪いのではない。
むしろ、スケジュールありきで、いいものをつくる目的を見失い、
作ることだけに集中してしまうプロジェクトに、ときどきカツが入れられる。


類似の既存サービスは、他社、自社問わず、ある。
情報の大元は、実は目新しくないものもある。
それをコンセプトを変えて、切り口を変えて、
組み合わせを変えることで、目新しくして、
世の中にないものを作ろうとしている。


でも、似て非なるサービスと知るのは、プロジェクトに関わる人間ばかりで、
閉じた世界で満足しつつある風潮も見えてきた。
特に外部の人に話すと、御社のメインサービスと何が違うのかと聞かれる。


外部の協力会社のかたは、仕事を始める前にコンセプトを語る要素が多く、
納得して新しさを楽しんでもらえ、共感が得られる。
それはある意味当然のことだ。


でも、この一週間、初対面の百名位の方々に個別に、
一分以内の短時間で対面や電話で話してみて、この壁にぶち当たった。


私は話をするのが自分では苦手意識があるが、
むしろ人からは得意に見られる。確かになめらかに話せる。
話すだけならいくらでも同じ話を何回もよどみなくできる。
でも、何か弱い、何か足りない。


公開日に向けて焦りも生まれ、妥協したり、削ぎ落としていく機能も出ていた。
けど、その公開日さえも白紙にするくらいで考えろと言われる。
足りないのではなく、もっとあるはずだ、もっと爆発的な力が出るはずだと、
いいものにこだわれと言われる。


それではだめだ、それでは始めない、
ディレクションは何をしているのか、
誰のために、何のために作るのかとブレーキをかけられる。


社内調整や協力会社管理をしている人の大変さや、
常駐してくれている人たちの姿を見てしまうと飲み込む言葉が多くなっていた。
違和感を持っても、ここで言葉を飲み込めば、
スムーズに決定事項として物事が進む。
というときに、一言が言えなくなっていた。


全体がどうかではなく、
私の感性や視点はこれで満足しているのかと、
私の言葉で今のものをどう捉えているのかと説明を求められる。
私がこれを決めたのだと、私の言葉でプレゼンしろと言われる。


最後は私をなんのために採用したのかわかるか、
思いを込めるためなんだと言われる。


作る役割は他人に任せ、わがままを言えと、
爆発的な天才的な目をなぜ出そうとしない、絞りださないのかと言われる。


本当に天才的な力なんてない自分は、
過去のサービスの実績や成功体験が、
自分だけの力ではないチームの力だと言い訳もできず、
期待にこたえる天才的な力が降臨するのを待つしかない。
期待されているだけで、自分にはそもそもないものを待っている状態かもしれない。


時間をかければいいものができるわけではない。
でも、時間をかけないともっと粗悪になるかもしれない。


初心に返るミーティングを繰り返しながら、まだ迷いはある。
サイトが始まるまでは、無人の無形の場で導線と動線を想像するしかない。
私だって教えてほしい。これが役に立つのかと。
これを待ってくれている人はいるのかと。
私の目が本当にあっているのかと。


あきらめてはならない。妥協してもいけない。
このサービスがあるから、未知なものや、
幸せな一瞬にたどり着けたと使ってくれている人を思い描き、私は考え抜くしかない。


何かが降り立ってくれるまで、
いくつもの見知らぬ顔や年齢層、それが使われるだろう操作のシーン、
暮らしに定着する姿、人と人がこれを使ってつながってくれる場面、
既存サービスから乗り換えたり、
類似サービスと誤解されないで認知してもらうために、
私は何を見ていけばいいのか。


何よりも、私が一人の利用者として、
初日、今のサービスを見て使うか、これに尽きる。


いらないものなど、作りたくない。
人生の貴重な時間を自分も投入しているのもそうだが、
必要とされる、ほしい情報が探せるサービスしか、世の中に御披露目したくない。


必要とする人に必要な情報に出会ってもらう。
私はそのために、ここにいる。それが唯一無二の私の存在意義だと思う。


いいものを作ることはこれまでもずっと考えてきた。
ただ、一人の力ではなく、プロジェクトメンバーの総意が結実し、
それが成功にも失敗にもなる姿も知っている。


そこには、わずか1人か2人、揺るぎない核をもって邁進する存在も必要で、
全員が賛同するかどうかでも違うこともわかっている。
確かに、私はその核となれたであろう時期もある。


でも、規模が大きくなればなるほど、その核はいったい誰なのか、
責任の所在も薄まる。
私は自分という息吹を吹き込めるのか、正直まだわからない。


なぜこのロゴなのか、なぜこの色なのか、なぜこの配置なのか、
そういうこと一つひとつを改めて考え直しながら、
私自身、ぴたっと像がはまる瞬間がやってくるのを待っている。


いいものが、誰にとってなのか、何がいいということなのか、
それすら初心になって考えている。


この思考の先に、誰かの幸せがつながっていると祈るしかない。
だから、考えつづけようと思う。


では、また。


追伸:今日はid:ululunさんの教えてもらったEVERNOTEでのアップに挑戦し、
帰宅途中に下書きを済ませたので、今日の日付のうちに原稿が書けました。
新しいことって、上手く取り入れるといいなと思いました。