お別れの挨拶を言えますか。

こんにちは、検索迷子です。


3月も押し迫り、4月からの新生活に向けて、
これまでの環境で知り合った方たちとの別れのシーズンです。


私も過去、何度もいろんな方とお別れをしてきましたが、
以前は、またいつか会えるという気持ちの軽い別れの気持ちが、
最近は、その別れを大切にしようと思うようになりました。


それは、もう二度とその人と会えないかもしれない、
という経験が増えてきたからです。


インターネットが普及し、メールもあり、連絡手段が発達したとしても、
人の心は、最終的に、そこにアクセスするかどうかが決め手です。


いつでも連絡をとれると思っている人ほど、連絡をしなかったりしませんか。


もし仮に連絡先を失念してしまっても、
六次の隔たり」といわれているように、
連絡を取る気にさえなれば、
その人に連絡をとることは容易にできるかもしれません。

Wikipedia 六次の隔たり


でも、自分がそのアクションを起こさない限り、
永遠にもう会えない人もいるのです。


会いたい人、話したい人には自分から向かっていかなければだめなのです。


お別れの挨拶をしにくい理由はさまざまでしょう。


わだかまりがあって別れてしまった。
競合他社に行ってしまった。
仕事環境が変わった。
なんとなく、別れを言いそびれた。
転勤で勤務地が変わったなど、シチュエーションはさまざまです。


けれども、どんな条件であったとしても、
私が、あなたに連絡をとりたいかどうか、
それが全てなのだと思います。


ずっとつながっていたいかどうか、
もう、その場限りの一過性の関係で終わりでいいかどうか。
私たちは意識的に、あるいは無意識に、
その人を自分のなかで、ポジション付けをしているのかもしれません。


もう、二度とお別れの挨拶を言えなくて、
一生、会えないかもしれないなら、
後悔しませんか?


お世話になった人に、最後に言えなかった一言


数年前の三月、新入社員時代にたいへんお世話になった方が、
若くして急逝してしまいました。
何の予兆もなく、スポーツ中に突然倒れて、数時間で帰らぬ人となりました。


当時、転勤先にいたその人とは、私が数年前に転職をしていたため、
まったく疎遠でした。


上司を通じてメールで連絡を受けたものの、
遠隔地に住んでいたうえに、私の仕事も抜けられず、
お焼香にいくことすらできませんでした。


最後に会ったのは一体いつだったのかさえも、思い出せませんでした。
何を話したのかも覚えていません。


その人は、新入社員時代に、私を一番最初に見出してくれた先輩でした。
取引先との名刺のやりとり、飲食の場での配慮、
発言の仕方、立ち振る舞いなど、
事細かに注意をされましたが、いろんな場面で私を全面に押し出してくれました。


新入社員で一番信頼できるといってくれました。


でも、もっとも私が仕込まれたのは、
お客様を裏切らない最高の品質の仕事をすることでした。


新人時代にありがちなミスをして落ち込む私を、
おまえがひとつ間違うなら、自分は10個は間違えるなと、
笑い飛ばしてくれたり、
そのくせ、同じことを二度としないよう徹底的にヒアリングをされて、
夜通し対策を考え抜きました。


その人のおかげで、優秀賞をとることができて、
社内でも、自分が育てたメンバーで3本の指に入るくらいかわいい後輩だと、
公言してくれていました。


夜中まで原稿をチェックする仕事をしたあと、
夜中から朝まで飲んで、カラオケをしたり、
そのまま着替えず会社の会議室で眠り、また翌日仕事をしたりと、
生活はめちゃめちゃでした。
でも、お酒をのみながらもずっと仕事の話をしていました。
仕事の楽しみを教えてもらいました。


多忙ななかにも、この人に信頼されている、
この人の信頼を裏切らないような仕事をしていけば、
お客様にも認められるような一人前の職業人になれると思っていました。


仕事では一人前扱いをしてくれるようになっても、
なぜか、いつも勝手に、若い子はカルーアミルクだと、
それ以外は飲ませてもらえませんでした。


そして、どんなときでもお金を払わせてもらえませんでした。
自分も先輩におごってもらってきたのだから、
いつか誰かにおごってやりなさいという理由でした。


そんな数年を一緒に過ごし、それぞれの異動を経て、
いつしか廊下ですれ違い、目礼する程度になっていました。
そして、その人は転勤してしまいました。


いつか、一人前の職業人として、
私が仕切るプロジェクトに参加してもらい、
カルーアミルク以外のものを飲みながらお話をしたいと思っていました。


なによりも、教わったことに対するお礼の一言も言わないまま、
十年以上も経っていました。



そんななかの訃報でした。
感謝の気持ちを伝えることも、私が少しは成長した姿も、
その人に見てもらうことができませんでした。



それから随分時間が経過し、
その人の、部下が追悼ページをインターネット上に公開しているのを、
偶然見つけました。


私が知らないあだ名で呼ばれ、趣味も変わっていましたが、
私に仕事を教えてくれたその人が、ここで会えると思うと号泣してしまいました。


相変わらず、いい部下を育て、愛されている上司だったのだと思うと、
本当に最後の最後まで素敵な方でした。



毎年、今年は一緒に、花見に行こうなと言ってくれたのも、
例年、年度末の仕事が多忙でかないませんでした。


今年は一人で、その上司の分まで花見を楽しもうと思います。



あなたにも、大切なひとや大切な上司がいるなら、
お別れは、節目節目できちんと言葉で、
目を見て言っておいたほうがいいでしょうね。


人は皆、明日生きている保障なんて何もないんだと思いました。



私は、その上司に出会えたことで、
何十年も情報産業で働く基盤を作ってもらいました。


私たちが手掛ける、たった一文字を待っていてくれるお客様がいるんだ、
だから手を抜くなと、夜中何度やりなおしを命じられたでしょう。


そのものづくりのこだわりを、私もいつか誰かに伝えたいと思います。


ものづくりの魂をくれて、ありがとうとその人には伝えたいです。
伝えるその人が亡き今は、後輩にそれを伝えて行きたいと思っています。



お焼香にはいけそうにはありませんが、
桜の季節になるたびに、あなたが私にくれたものづくりの魂を新たに、
今度は私が誰かに魂を吹き込んでいこうと思います。


感謝しています。
そう、あなたに言いたかったです。



後悔しないよう、別れの言葉を伝えたい人には、
きちんといいましょうね。



もう、二度と会えないかもしれない。
そんなあやうい時間のなかで、私たちは日々を生きているのです。



大切なひとに、あなたが大切ですと伝える一瞬を恥ずかしがって、
一生、その一言がいえない後悔はしたくないと思いました。



では、また。