思考の整理学 −触媒

こんにちは、検索迷子です。


今日は、外山滋比古先生の『思考の整理学』について書きます。
話題にしたいことが多いため、数回に分けて書く予定です。


もともとこの本は、とても評判が高く、
いつでも、すぐに読んでみたい本の候補に上げていました。


この本は発行から24年経過しているうえ、
500円程度の文庫本にも関わらず、
図書館のインターネット予約では、
300人待ちという驚異的なリクエスト人数だった本でした。


比較的大きな図書館を利用していますが、
300人待ちというのは、尋常ではありません。
途中でキャンセルした人もいたでしょうが、一年以上待っていたかもしれません。


私が頻繁に利用する図書館で、
新刊でない本が、こんなに圧倒的なリクエスト数を誇る本はありません。
それだけに、誰もが読みたがる要素がある、良書の期待が高まっていました。


だから、なぜか、その待ち時間を楽しもうと思える本でした。
ゲーム理論でいう「評判効果」の後ろに、私も並びたい気分になりました。


そして、やっと待っていたかいがあり順番が来ました。
手にしてみて、ざっと一読し、
ああ、この本は生涯の一冊にしたいと思えました。
早速、購入しようと思いました。


値段以上の価値をくれて、何度も反芻して読みたい本です。
短いエッセンスがいくつもに分かれていて、
その短さのなかに深みがあり、旅先に持って行きたい本だなと思いました。


まずは本のご紹介をします。

筑摩書房 思考の整理学
こちらに著者紹介とともに、本書の目次が掲載されています。

Wikipedia 外山滋比古(とやましげひこ) 

思考の整理学 (ちくま文庫)

思考の整理学 (ちくま文庫)


いざ、この本の感想を書こうと思ったとき、
あまりにも、どれにも感銘を受けて、最初の一つを選びかねました。



でも、今日はそんななかであえて、「触媒」の項について触れます。

触媒とは

2009年9月30日 第60刷
P.54 触媒

イギリスのT.S.エリオットという詩人評論家(p.48既出)が、
有名なアナロジー(注:類推のこと)として、「触媒反応」をもち出したことを中心に、
著者は話を綴っています。


引用ここから--

詩人は自分の感情を詩にするのだ、個性を表現するのである、という常識に対して、
自分を出してはいけない、とした。個性を脱却しなくてはならないというのである。
それでは、個性の役割はどうなるのか。そこで、触媒の考えが援用される。

酸素と亜硫酸ガスをいっしょにしただけでは化合はおこらない。そこへプラチナを入れると、
化学反応がおこる。ところが、その結果の化合物の中にはプラチナは入っていない。
プラチナは完全に中立的に、化合に立会い、化合をおこしただけである。

詩人の個性もこのプラチナのごとくあるべきで、それ自体を表現するのではない。
その個性が立ち会わなければ決して化合しないようなものを、化合させるところで、
”個性的”でありうる。

これは、それまでの芸術的創造の考えに一石を投ずることになり、エリオットの
”インパーソナル・セオリー”(没個性説)と呼ばれて有名になった。


そして、このあと、日本の俳句や、エディターシップと話を結びつけて、
論じています。

P.56
似たようなことは、すでにのべたエディターシップにおいても見られる。
編集の機能を、表現する著者と、受容する読者との手をつながせることであるとするならば、エディターシップはむしろ、自分の好みなどを殺して、執筆者と読者との化合が成立するのに必要な媒介者として中立的に機能する。
第二次的創造というのは、触媒的創造のことになる。

(中略)

一般に、ものを考えるにも、この触媒説はたいへん参考になる。
新しいことを考えるのに、すべて自分の頭から絞りだせると思ってはならない。無から有を生ずるような思考などめったにおこるものではない。すでに存在するものを結びつけることによって、新しいものが生まれる。

すぐれた触媒ならば、とくに結びつけようとしなくとも、自然に、既存のもの同士が化合する。それは一見、インスピレーションのように見えるかもしれない。しかし、まったく何もないところにインスピレーションがおこるとは考えられない。

さまざまな知識や体験や感情がすでに存在する。そこへひとりの人間の個性が入っていく。すると、知識と知識、あるいは、感情と感情が結合して、新しい知識、新しい感情を生み出す。


触媒というこの考え方に触れて、
私は、プラチナのような存在になれてきただろうかと考えました。
ただ、かき乱して、違う化学変化を起こしてしまって、
もともとの素材を壊してこなかっただろうかと。


私は、ある人と仕事をがうまくいっているとき、
シナジー効果をあげることばかりを考えていた自分に気づきました。


触媒のほうが、もっと緩やかに中立的であり、
ぶつかりあいや、利害関係も少し緩和されているような気がしました。
何よりも、プラチナが化合前後に、邪魔をしていない感じがしました。


無理に、目に見える成果なんてあげなくてもいい。
そっと、中立的に寄り添うだけでいい方法もあるのだと思うと、
心が軽くなりました。


シナジー効果をあげなければとがんばりすぎた結果、
関係が壊れてしまい、ほぼゼロの地点、あるいはもっとマイナス地点になってしまうこともありました。


全部を失うくらいなら、中立で触媒効果だけの立場で、
見守るだけでもいいのかもしれないと思いました。


言葉の解釈は難しいのですが、なんとなく、
情報の媒介者としての自分の立ち位置が見えたような気がします。


シナジー効果は、より深く知り合いたい人と、
火花を散らすことを覚悟で行い、時には別離がやってくることもあります。
本当は、失わなくてもいいものまで失い、
時に傷つけあって、顔も見たくなくなってしまう痛みすら伴うこともあります。


触媒は、もう少しおだやかに、じんわりときいてくる、
そっと立ち去ることもいとわない距離感のときに使えそうです。


一人前の編集者をめざし、
情報仲介者として生涯生きるつもりなので、
この部分は、もうすこし読み込みたいページです。


この本については、今後も数回、触れようと思います。


では、また。