「自分で調べて」は、愛情か、放任か

こんにちは。検索迷子です。


今日のお話は、
「自分で調べて」は、優しさか手抜きか、
効果的か逆効果か、という話、
です。



■なんで自分で調べないの、と先輩たちの声


最近、立て続けに全く違う場所で、
私が知らない人同士が、同じ会話をしている場面に出くわしました。


「あのひとさー、すぐ何でも聞くんだよ。
何で、自分でまず調べないんだろうねー。」
「そうそう。調べればすぐわかるのに、調べもしないで、
何回も同じことを聞くから困るよね。」



この会話は、たぶん、新人を教える先輩同士の会話です。
時期的に、新入社員が研修を終えて一人立ちしたり、
引継ぎをしたりということも関係あるのかもしれません。



こうした会話を聞くたびに、私は少し引っかかります。


そこで、会社でその会話をしている人に思い切って、質問してみました。



「調べるって、何を調べればいいの?」
「いや、インターネットで調べれば、誰でもすぐわかりますよ」
「インターネットで何を調べるかは、本人はわかるの?」
「だって調べることは決まってますからね」
「あれ、でもわからないから、教えてほしいと聞いてきてるんでしょ?」
「まー、そうですね」
ここで、相手の顔がちょっと曇り始める。


「調べるサイトとか、キーワードとか、ゴールやヒントって教えてる?」
「いや、それを考えることを含めて、調べるじゃないですか」
「でも、それがわかってたら、もう調べて、とっくに終わってるんじゃない?」
「まー、確かに」
「何を調べるかは、教えられないの?」
「いや、別に教えてもいいんですけど、、、」
「じゃ、教えてあげたらいいのに」
まだ、不満そう。


「でも、それじゃ、覚えないじゃないですか」
「何を覚えてほしいの?」
「いや、調べ方を」
「でも、インターネットで調べろって、検索エンジンを長時間使って、
見当違いのサイトを見つけて、また、調べろってことにならない?
それだと振り出しに戻るよ。
検索の時間を長時間とってもらうほど、その仕事ってのんびりしてていいの?」
「いや、急いでるんですけど、、、」
まだ、教えたくない雰囲気。


「言いたいことはわかるんですけど、でも、それじゃあ覚えないですよ」
「覚えなくても、調べ方が具体的にわかれば、次は自分で調べられるかもしれないよ。
一回位、ヒントをあげてみたら?」
「そうかなぁ、自分で調べないとだめですよ」
まだ、半信半疑。
ここで、立ち去ろうとする。



■教え方を調べた?と聞いてみる


「ところで、わからない人への教え方って、自分は調べた?」
「へ?」
「だって、新人さんが、なんで覚えないか、調べないか、自分はわからないんでしょ?」
「ええ」
「じゃあ、自分もインターネットで調べてみたら、解決するかもよ」
「そうですかー」
「自分で調べた?」
「いいえ」


「なーんだ、新人さんと一緒じゃない。自分で解決方法を調べてないね」
「調べろって、何をですか?」
「教え方を調べてみたら」
「それじゃわからないですよ、どんなサイトみたらいいんですか」
「そうだよね。どのサイト見たらいいか、わかんないね」


ここで、カンのいい人は、はっとする。
でも、不機嫌になる人も多い。



■調べ方を教える効率性


この会話を意地悪と思うかもしれません。
でも、先輩の多くは、自分の教え方は正しいというところからスタートしています。


自分の教え方が間違っているかもしれない、
新人さんのタイプに合わせて教え方を変える、
相手がわからないことの本質を考えて、根本的に対策を練る、
といった視点が、
口に出して愚痴を言う人は、まだ十分でないケースが多いように感じます。


教え方のバリエーションを持たずに、
相手に何でも調べてみろといった、
調べるという行為だけに執着しているようにも見えます。
教える自分と、教わる相手との相性よりも、
自分の方法を一方的に伝えているのみのようです。



■自分も、出来ない新人だった日々を忘れない


新人時代、自分もわからないことだらけで、
調べ方がわからず聞いた時代がなかったか、
先輩に調べろと言われたけれど、愛情か放任かわからず、
路頭に迷ったことはなかったかを振り返ってほしいのです。


新人さんに言っていることは、
ときどき、自分の身に置き換えて考えたほうがいいなと思います。


この話をすると、多くの人から反発されます。
自分も、先輩から調べろと言われて、
調べて覚えてきたから、一人でやってきたから、
それで正しいはずだと。


でも、自分が調べて、四苦八苦している時間を、
根気強く待ってくれていた人はいないでしょうか。


確かに、自分で調べ方を考えるところから学ぶ方法もあります。
それで上手くいくこともあります。
飲み込みの早い人はそれでもいいでしょう。


でも、少なくとも、誰かと愚痴りたくなるような、
自分からすると許せないと思う度合いの人は、
漠然と、調べろ、ということの効果が、果たしてあるでしょうか。


また同じことを繰り返し、
先輩である自分のほうがストレスをためかねません。
少しも進歩しないかもしれません。


人間としての成長を考えた愛情のある、調べろも、
面倒だなと放置として言った、調べろも、
相手によっては、残念ながらあまり意味をなさないことがあります。



■何のために仕事を教えているか


私はこういうとき、
会社として、なぜこの人を育成しているのかとゴールを考えます。
新人さんが調べることを覚える時間を待てるか、待てないかの基準にします。


待てるときは、その人の底力に期待をして根気強く待ちます。
でも、会社として仕事を動かすために待てないときや、
その人を仲間と認めて、一緒にいいものを作り上げていくためには、
一刻も早く仕事の方法を覚えてもらうようにしています。
私の経験としては、ヒントをだして、ゴールを見せたほうが近道のほうが多いです。


それが、手抜きだって、覚えなくたって、
何回も教える手間がかかったところで、
大きなミスが出てフォローするよりは、いいと思っています。


一度で本質をわかる人もいれば、
何度も単調作業を繰り返して初めてわかる人もいます。
相手の覚えるリズムにできるだけあわせて、
なおかつ、仕事を止めない方法を考えます。


聞いても教えてくれないで、調べろとしか言われない先輩だと思われると、
一番怖いのは、新人さんが萎縮して、
重大な報告をしなくなり、いつしかわかっているふりをしてしまうことです。


気付いたら大きなミスが発覚し、
そのミスの根っこはこの時期だったということもあるからです。


調べろということが悪いのではありません。
あなたのことを考えてというニュアンスが伝わり、
コミュニケーションやフォローができるなら、
その方法も有効でしょう。


でも、もし、新人さんの顔が曇っていたり、無口になっていたり、
教えている自分の気持ちがもやもやするということがあれば、
少しコミュニケーションが希薄になっている時期かもしれません。



責めることからは何も生まれず、
解決に向かうことだけでしか、未来は開けないと思っています。


いま、もし、あの新人、使えないよーと言っている人がいたら、
私がその人の先輩なら少しがっかりします。
新人さんを教えることができないなんて、あなたこそ使えない先輩?と、
意地悪な一言を心の中で言っていたりします(口には出しません)。
特に、改善策のない愚痴は困りますね。


今日、この話題を選んだのは、
今、新人さんとうまくいかず、ちょっと迷っている人の、
停滞した空気を打破するヒントになればと思いました。



■教え方を教えたほうがいい理由、それはいいものを作るため


私自身は、一人で仕事をしたこともあれば、大企業勤務経験もあります。
でも、なぜ今会社勤めをしているかと言えば、
一人ではいいものが作れない、その一点に尽きます。


だから、人と一緒に仕事をして、
コミュニケーションをとることをとても大事にしています。


どんなにいいアイデアも、一人では実現しにくいとわかりました。
誰かと一緒に何かを作ることが一番楽しくて、
一人よりもずっと大きな規模の仕事ができて、
手分けすることによるスピード感もあって、
相乗効果が生まれるという経験を何度もしました。


一人では働いていけない、
他の人といいものを作り上げよう、
そのためには、
情報共有の手間を惜しむのをやめようと思いました。


いいものを生み出すために、今、偶然であった仲間を大切にしようと思っています。


調べ方を教えるというのは、そんななかでは些細なことです。
インターネットの検索スキルを磨いてほしいのでなければ、
隣の席にいる人が、さっと教えれば一瞬で問題が解決します。
それが、毎日顔を合わせている最大の醍醐味です。



ものづくりの時間と場所を共有している仲間に、
自分が投げかける一言が、どう聞こえているか、
ときどき、自分自身を振り返ろうと思ったりします。



私自身、教える人を見守るということが増えて、
こうした、ちょっときびしめのやりとりをしたりしますが、
この話を投げかけられる人も、実はごくわずかです。


聞いて、考えてくれる人にしか、伝えられないことだったりします。
そうでなければ、
調べろ!と息巻いている人に、私自身が逆襲されてしまいますから、
言葉を慎重に選んで、ごく少数に話していることです。



こういう視点を持っている人間がいると、笑い飛ばしてもらえばと思います。



では、明日。またここで。


検索迷子