神社は誰のもの

こんにちは、検索迷子です。


ペットが怪我をしたこともあり、
ペットを連れて近所の神社にお参りに行った。


自分以外には誰もいなかったが、
誰かに見られているような感じがしていた。


お賽銭をいれて、
拍手を打とうとしていた。


なかなか、怪我が治らないペットを横に、
一緒に神頼みをしたい気持ちだった。


拍手を打とうとするその瞬間に、
ペットは下に下ろしてくださいと声がした。
神主さんらしき人だった。


わずか10段にも満たない階段を下りて、
それで自分だけお参りをするようにとのことだ。


ペットが怪我をしたので、
一緒にお参りをさせてもらえませんかと言うと、
神聖な場所に動物はだめだと一点張り。


お賽銭も入れたことだし、
お参りもしたかったため、
階段の下にペットをつないで、自分だけお参りをした。


が、一度、お参りをしようとする気持ちがそがれたため、
もう、集中力が切れたものとなった。


ずっと自分たちを見ていたのだろう。
ならば、お賽銭を入れる前に止めるなり、
終わった後に注意するなり、
方法はあったと思う。


人間がいる場所に、
ペットが許されないという状況は、
いくつも経験をしたが、
こういう失礼なタイミングで注意をされたのは初めてだ。


お賽銭を入れるまで待っていたのか、
と疑いたくなる。


神様に罪はない。
が、それを運営する人の心がけが、
神を信じる気持ちを損ねてしまったのは確かだ。


マナーとしてそれがいけないのなら、
入口にわかるように書いて欲しい。
実際に受け入れてくれるところも多いだけに、
なぜ、この神社はそういうことを言うのか、
最初はしっくりこなかった。


動物が神聖な場所にだめなら、
人間こそ一番、どろどろの気持ちを抱えて生きているのだと、
心の中では言いたかった。


ルールに従わないというのではない。
人が何かにすがって祈ろうとしている気持ちを、
一番悪いタイミングで声をかけたことを、
とても不快に思っているのだ。


ペットのためとはいえ、
お賽銭を返して欲しいと本当に思った。


祈りたくて、この場にきたという気持ちを、
その人は微塵も感じなかったとしたら、
ここは誰のための場所なのかと言いたかった。


では、また。