種をまく人


こんにちは、検索迷子です。


何かを始めるとき、
スターターとして主張を声高に叫んだり、
責任を意識しなくてもいいのだと、
はっとした一冊がある。


それが、ポール・フライシュマン著『種をまく人』だ。

種をまく人

種をまく人


ストーリーは、
一人の少女が自分の生前に亡くなった父を思い、
父との心のつながりを求めて、
ゴミ溜めと化した空き地に、植物の種を少しずつ植えていくことから始まる。


それは自分がそうしたいからであり、
植物が育つ過程を父親が天国から見守ってくれているような気がしたから、という理由だけだ。


その空き地は、祖国を捨てたさまざまな人種の人が集まる、
住宅地のなかにあった。


コミュニティが存在しない、
異なる言語を持つ低所得者が集まる、
ゴーストタウンのような場所で、少女は種を植え続けた。


少女の行動をたまたま見ていた一人が、
枯れかけた豆の若葉に気づき、
なんとかしたいと行動を起こした。


そして、その行動を見た別の住人が、
さらに自分ができることを考えた。
役所にかけあって、ゴミの処理を頼んだ。


次第に、周辺の住人が、それぞれにこの空き地で、
祖国の食べ物や花などの種を植え始めた。
そうした行動を通して、言葉が通じなくても、
お互いの作物を交換したり、お互いの困りごとを助け合うようになった。


コミュニティと呼べるものが形成されていった。
心のつながりが広がっていった。



少女は、種を植えていただけだった。
空き地を畑に活用しようと主張したわけでもなく、
みんなで協力しあおうとも言ったわけでもない。
それすら望んでいることでもなかった。


ただ、種を植えていただけなのだ。
それを見ていた人たちが、その行動に触発されて、
自分なりの理由で、自分なりの意味を見つけて、
同じように種を植え始めただけなのだ。


最初は、一人ひとりの思惑はまるで違った。
だけど、結果的にそこには、共通の行動を通して、
畑を通したコミュニティが生まれた。


原題である、『SEEDFOLKS』は、直訳すると、
種の人々、種族となるらしい。


種を通して、人と人がつながりあうことで、
やがて、違う人種の人々が、ひとつになっていく。


何かを始めるのに、結果に向けた大げさな意思表明はなくてもいい。
ただ、始めればいいのだ。
それを見ている人はいるのだ。


自分の思う方向やプロセスと違ったって、
それぞれが目標を達成できれば、
全体的には幸せになれるのだ、
そんなことにはっとした一冊だった。


絵本ではないが、とても薄い本なので、
さらりと読めてしまうが、
余計な教訓めいたものがなく、
一人ひとりのストーリーがただ綴られている。


ものごとはシンプルに始めたほうがいい。
種を植えたいと思ったら、ただそれだけに集中すればいい。
誰のためでもなく、自分がそうしたいと思ったら行動する。
それだけでいいのだと思った。


では、また。