惜別の言葉はどう伝えるか

こんにちは、検索迷子です。


検索迷子に来てくださるかたに、
惜別の言葉、
という単語を使われているかたがかなりいらっしゃる。


不思議なのは、私自身、ボキャブラリーにあまりなくて、
ブログで文字にしたのは、
今日が初めてということだ。


改めて、自分なら、惜別の言葉に何と言うか考えてみたが、
どうもしっくりこない。


別れを惜しむ、という気持ちがあまりないのかもと、
はたと思った。


別れなければならない状況なら、
それを受け入れるところからスタートするせいか、
誰かに言ったり、言われたり、
という自覚があまりない。


未来に向けた、はなむけの言葉や、
過去の慰労の言葉は、
惜別の言葉とは少し違う気がする。


さみしくなるね、が、
あえて言うなら、自分の惜別の言葉だろうか。


惜別の言葉が使われるタイミングには、
逝去に伴う、永遠の別れや回顧を伝えるものもあるだろう。
文字からして、
取り返せない時間を惜しむ、
という印象がある。


こうやって、つらつら考えるだけでも、
惜別の言葉の奥深さ、難しさを感じる。


式次第があるような、
あらたまった会の挨拶でないなら、
退職、転職、卒業、転居などにともない挨拶は、
お別れの挨拶、
最後の感謝とお礼の場、
シンプルにそう考えていいのかと思う。


惜しまれてそこを去るみたいな、
濃厚な惜別のシーンがなかったからなのか、
やっぱりまだ、惜別の言葉がしっくりこない。


共通体験があるなら、
挨拶はいくらでも広がりを増していく。


でも、万能な惜別の言葉は、
これからさみしくなりますね、
しか浮かばない。


言葉は難しい。
だから、たくさんのかたが検索迷子まで来てくださるのかと、
なんだかしみじみ実感した。


特定個人に向けてなら、
スピーチ原稿を書くこともできそうだが、
未だにその機会はない。


さみしいね、元気でね、ありがとう、
いまの自分なら、
それだけ伝えて見送るような気がする。


惜別の思いが伝わりますようにと、
祈りを込めて。


幸せであることを願って。


では、また。