ただ、ほほ笑むだけで

こんにちは、検索迷子です。


先日に引き続き
ジャック・キャンフィールド、マーク・V・ハンセンの『こころのチキンスープ−愛と奇跡の物語』で気になった一節をご紹介します。

こころのチキンスープ―愛の奇跡の物語

こころのチキンスープ―愛の奇跡の物語


昨日は、マザー・テレサの愛をふりまくということについて書きましたが、
そのなかで、「ほほ笑み」というキーワードがありました。
この「ほほ笑み」が生死を分けたというエピソードがその後に続きます。


アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの「スマイル」


そのストーリーの書き手は、『星の王子さま』で知られる、
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリです。


「スマイル」というタイトルの話は、
実話か創作かはわからないようですが、次のような内容でした。
『こころのチキンスープ』で書かれている内容を抜粋します。

 彼は第二次大戦中、パイロットとしてナチスとの対戦で死亡していますが、スペイン市民戦争でも、ファシストを相手に戦いました。その経験をもとに『スマイル』というとても心を魅きつけるストーリーを書いています。
 ここでご紹介するストーリーは作者自身の体験にもとづいたものか、創作なのかは定かではありませんが、私としては本当にあったことだと信じたいところです。スペイン市民戦争の真っただ中、敵の手に落ちた彼は監獄に放り込まれました。看守の侮蔑に満ちた目つきと乱暴な扱い方から、翌日の処刑は疑いないものに思われました。


と本書による紹介につづき、実際のストーリーです。

僕は、もうすぐ、処刑されることになっていた。

そして、たった一本残ったタバコを見つけたものの、マッチがないため、看守に声をかけた。

 看守が僕のタバコに火をつけたその瞬間、目と目が合った。僕は思わず彼にほほ笑んでいた。
 死がそこまできているというのに、敵にほほ笑むとは、僕はどうかしてしまったのだろうか!? 神経がものすごく高ぶって、判断がつかなくなっているのかもしれない。それとも、人間とは向かい合った時、無意識にほほ笑むようにできているのだろうか? なぜだかわからないまま、僕はただほほ笑んでいた。

すると、

彼はタバコに火をつけ終えた後も、その場に立ったまま、笑みを浮かべ、じっと僕を見つめていた。僕もずっとほほ笑んでいた。もう看守と囚人ではなく、対等の人間同士だった。やがて、彼の視線が微妙に変化し始めた。「お前に子どもはいるのか?」

そして、子どもの写真を見せ、看守も自分の見せてくれて子どもへの夢を語った。
家族にもう会える見込みのない僕の目には涙があふれた。

 その時だった。突然、看守は何も言わず監獄の鍵をはずすと、こっそり僕を外に出してくれたのだ。そして人目を避けて裏道を使い、街のはずれまで連れて行くと、僕を逃がしてくれた。そして、そのまま何も言わずに帰っていった。
 わかるだろう? 僕の命を救ったのは、他でもない。このささやかなほほ笑みだったんだ。


このお話を信じるか、信じないかは、
ほほ笑みがどれだけ力があるかを知っている人だけができるのかもしれませんね。


アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリが、
星の王子さま』で書いたような次の一節が、
戦争に関わる時代に生きた著者のこうした経験のなかから、
丁寧に、絞りだすように、編み出されたものなのだろうと思いました。


『こころのチキンスープ』第二章 金の仏像では、その引用もあります。

 ぼくの秘密が聞きたいかい?
 ちっとも難しいことじゃないんだよ
 この世には、目には見えなくて、
 心でしか見えない、
 とっても大切なことがあるってことなんだよ。


アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ

新訳 星の王子さま

新訳 星の王子さま


誰に、どんなときに、ほほ笑みかけるか。
それで、救われる命があるのかもしれない。



大切なことは、ほほ笑みを忘れないで生きるということなのだろうか。


アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリについては、
以前、違う話題で少し触れたことがあります。
よかったら、あわせてお読みください。
一本のばらの花か、摘蕾か


今日も、誰かにほほ笑みを。
それで、幸せに近づけるはず。


では、また。