(18)SMAPがインフラを超えていく

こんにちは、検索迷子です。


今日は、「剛 しっかりしなさい!」のブログ運営者である、凪(なぎ)さんとのコラボブログ第18回である。


凪さんの、コラボブログ(17)いま僕たちに何ができるのだろう 番組に届いたメッセージ を受けて、震災後のSMAPの対応のことを書こうかと少し考えた。


でも、先日、熊本地震の情報活用に「できますゼッケンのWeb活用」を、書いてみて思ったのだが、余震もおさまらない状態の今、何かを書いても、過剰な思いや足りない情報などで、どうも収まりが良くない。うまく言えないが、心配する気持ちすら空回りするような感覚だ。


それで、少し違う観点でSMAPの話を書いてみようと思う。

インフラと呼ばれながら、替えがいないSMAP

SMAPが社会のインフラと呼ばれるようになり、これまであまり疑問を持たなかった。が、いま、熊本地震を目の前にして、少し疑問を持つようになった。「インフラのような」というのは、例えとしてはわかりやすいが、もっと適切な表現はないのかと、考えあぐねてしまう。


それは、電気、水道、交通、通信など、インフラと呼ばれるものには、非常時のバックアップ体制がつきものだということだ。インフラはその重要性から、災害によって損なわれたとしても、他のもので一時的な代替や復旧が可能でなければならない。事故が起きないよう、安全点検も行われる。災害の影響があっても、永久的に持続可能なものとして利用されていく。


と、実際のハード面の社会のインフラと比較したとき、SMAPって永久欠番のゼッケンのように、SMAP以外の何にも例えられないようにも思えてきた。代替可能でもなく、命があるゆえに、彼らの命が輝いているこの時代にしか、今のSMAPの息吹を受け取れない。そんな当たり前のことを考えた。


考えても今は、「インフラ」以上の適切なたとえは浮かばないが、多くのかたの精神的なインフラであるのは疑いのない事実だろう。

非常時に、発言を待たれる存在

1月の報道直後、そして熊本地震によって、彼らは国民的アイドルという立場上、発言が注目される存在となっている。エンターテインメントのプロ集団の彼らが、今、どうするのかが、一部の方たちの行動指針になったり、励みになったりする。


神や天皇や王様といったものとも違う。宗教家とも違う。親でも先生でも上司でもない。だけど、誰の発言よりも信頼を持って受け入れられる側面もあるだろう。


少し話はそれるが、先日、あるタレントさんのラジオの生放送が、番組内容を通常から変更して、熊本地震関連の投稿と音楽のリクエストで番組を放送していた。番組中止も検討したそうだが、スタッフと話し合って、コンテンツを変更して放送を決めたようだった。


投稿がメインとなった番組をなんとなく流して聞いているうちに、いてもたってもいられなくなって、人生初のラジオ投稿をした。


そうしたら、投稿して5分もしないうちに、自分の投稿が読まれた。思いを吐き出したくて投稿して満足していたところ、初めて考えたラジオネームがいきなり読まれて、え??とびっくりした。


自分の投稿を、タレントさんが読んでくれて感想を言ってもらったことも嬉しかったが、それよりも熊本の避難所にいるかたからの投稿も多数読まれて、濃度は違えど、「不安な今を共有」していることに感動してしまった。何かを発言したいと、勇気を出して投稿してみて良かった。投稿したことで、ただ聴いているのとは違い、ぐっと場に参加している気持ちになった。人とつながっている実感が強くなった。


そしてこういう、生放送ならではの一体感は、言葉の力を持つ、タレントさんが寄り添ってくれたことで生まれているんだとつくづく思った。知らない人同士でTwitterでやりとりをするのとは明らかに違い、中立の立場で、被災したひと、応援したいひとの真ん中にいて、人の気持ちをつないでくれている安らぎがあった。


SMAPに同じことを求めたいかというと、それはわからない。SMAPはもはや、そこに存在している、この時代に生きているというだけで、人の心を温めるような存在に昇華している気がする。


もちろんわかりやすい形で、言葉にしてもらうほうが伝わりやすいが、この世界のどこかで生きてくれて、たんたんと仕事をこなしているという状態だって、私自身はかまわないと思っている。


国民的アイドルとか、インフラのような生き方を強いるくらいなら、彼らが自発的に何かをしようとか、世の中が、お仕事として彼らに役割を依頼するタイミングまで、ただ様子を見ていようと思う。


私自身は、今回の地震後、以前よりも自分の日々をしっかり生きようと思うようになり、これから先々の仕事をたくさん入れるようになった。


ふとした瞬間に悲しみや、自分の無力さに浸るより、忙しく生きて、経済活動を回して、自分がタフな人間となって、人に優しさを差し出せるゆとりを持とうと思うようになった。


今日を全力で生きて、今を全身で受け止めて、
明日へ希望をしっかりとつないでいける、そんな生き方をしたいと思っている。


今日は、スマスマが観られるかわからないが、観たいスマスマを断念してでも、自分にはやらなければならないことがあるのだと、自分に言い聞かせてみる。


誰かの言葉に影響を受けていくのも大切だけど、自分の言葉で生きられなければ、命はつなげないものだから。SMAPのメッセージも受け止めて吸収したとしても、それをどうかみ砕いて栄養とするか、どう生き方を決めるのは自分なのだと思っている。


では、また。

コラボブログの主旨

ブログ主旨については、下記にリンク先を掲載している。
【コラボブログ:SMAPとココカラ】(2)SMAPとファンは、もはや一つの組織の最下段、【コラボブログ:SMAPとココカラ】(4)木村拓哉さんの自己犠牲の精神の序盤で紹介している。