香取慎吾さん主演「家族ノカタチ」のオリジナリティ

こんにちは、検索迷子です。


今日は、香取さんが現在、出演している「家族ノカタチ」の第7話までの感想を書こうと思う。


「家族ノカタチ」の感想は過去2回書いている。
香取さんの誕生日に、同番組を初回から第3回まで視聴して書いた、香取慎吾さんの年齢相応の演技への挑戦
第6回までの感想を書いた、香取慎吾さん主演「家族ノカタチ」の感想がある。


前回感想を書いた際、自分がSMAPに関する話題を書いてきたなかでも、ものすごい反響があってとても驚いた。いまでも日々閲覧数が伸びている。それだけ、この番組を応援したいかたがたくさんいるのだとつくづくと実感した。

オリジナル脚本ならではの楽しみかた

「家族ノカタチ」は、今クールの連続ドラマのなかで、良質なドラマだが視聴率が伴わないという辛口な見方がされている。それは本当に残念でならず、少しでもその良さを伝えたいと思って今日も少し感想を書こうと思う。


このドラマは脚本が、後藤法子さんによるオリジナルの作品だ。後藤さんは、草なぎさんの昨年の「銭の戦争」や、古くは中居さんの「伝説の教師」でも脚本を書かれている実力派のかただ。


昨今の原作がある作品とは異なり、登場人物の設定は一話ごとのエピソードを通して理解をして、話の展開や、最終回の落としどころがわからないものだ。そこが、連続視聴していると面白くもあり、全く読めない部分でもある。登場人物が何を考え、その行動にどういう意味があり、ドラマの前半の回で登場した会話や背景が少しずつ回収されていくというのを、回を重ねることで理解を深めていく。


個々の登場人物の行動や言動が、破天荒だったり、奇抜だったり、極端だったりしたしていても、そこにはそれぞれ意味があり、表に出る行動とは裏腹に、本人の内面の葛藤を描く部分は、「ああ、この人はこんな面もあったのか」という意外性もあって、知り合ったばかりの人の理解をじょじょに深めるかのごとく、テレビのなかの登場人物という枠を超えて親近感もわいていく。


その親近感は、丁寧に人と向き合うことで信頼関係を築くことと似ていて、時間をかけてじっくりと相手の長所も短所も受け入れることで深まってくるものだ。だから、最初から視聴しているひとは、「あのときのあの会話にはこんな意味があったのか」と後半にいけばいくほどしっくりくるだろうが、途中から視聴したかた、これから視聴するかたはその部分に、「途中参加」するのはなかなか難しいのかもしれない。原作がないゆえに、どこに着地するか不透明な部分は、今の時代、「評判が定まったものに人は群がり、その評判の行列に並ぶかのごとくファンがさらに増える」傾向もあるため、なかなかオリジナル脚本という、本来の良さがいい方向に行かないこともある。


だがこのドラマ、途中参加をするとついていけないドラマかというと、実はそうではない。それは、人の本質を突く部分が随所にちりばめられているからだ。人の思い、人の感情といった、台詞部分が丁寧に描かれていて、自分とまったく違う背景を持った人ばかりだとしても、台詞の秀逸さにはっとすることが多いのだ。


また、ドラマは特定の誰かだけが素敵に見えるという作りではなく、誰もが平等に一人の人として、その思考や人格が尊重されている内容になっている。だから一話完結という形ではなくても、その一話単体のなかで、人の言動や行動を通して、自分の心のなかをのぞくような時間がたくさんあるのだ。そのサプライズは不意打ちのように毎回訪れる。不思議なことに、人物設定も背景もエピソードも、何の共通項も持たず、身近に似たような人がいなかろうが、ふっと自分の心にぐいっと差し出される台詞があるのだ。


そんなとき、つくづく思うのだ。私たちは一人では生きていないし、一人では生きていけないのだと。直接、間接的な関わりに関係なく、そういう人いるねとか、自分はそれに賛同できないなとか、ああ、それわかるとか、何か、自分が自分の心と対話するような、ごく普通の言葉、でも時に生々しく心をえぐるような言葉が差し出されるのだ。それが不意打ちのように、ずどーんと響いたりする。そして、その言葉に立ち止まった自分に、自分がびっくりさせられたりする。自分はどうしてこの言葉がこんなに気になるんだ? と思ったりするのだ。


オリジナル脚本ゆえに、私たちは、まだまだその登場人物の知らない部分をいくつも持つ。だから、本当に予測できないひとから、予測できないような言葉が出てきたときの驚きが大きいのだ。ドラマでありながら、何かリアルな人間関係もそういうことの連続だと思わされたりするくらい、台詞の言葉が素晴らしく、言葉が立ち上がってくるような思いがする。時に自分はそこにはいないのに、自分だったらこう言うだろうかとか、何かその状況の一人になるかのように手元に言葉を引き寄せるかのごとく視聴できる、不思議な感覚になるドラマなのだ。

登場人物の肩の力が抜けて、持ち味がにじみ出る。

当初、このドラマはもっと恋愛色が強いのかと思っていたら、人の内面の描き方とか、人との距離感という、同性異性の枠を超えた人間関係の色が濃く、甘い恋愛要素というものをほとんど感じさせない。また、特定の誰かだけが正であるとか、特定の誰かだけがかっこよく見えるという作りになっていないのも好感が持てる。


誰もが表の顔と、心の内面の葛藤の部分を持つ。あけっぴろげで、ずけずけとなんでも話しているような人物設定であっても、人になかなか言えない部分も実は持っている。その逆に、人に必要以上に語らないような人物設定であっても、優しさや人間くささをにじませたりする。たとえば、それは主人公と主人公の父親のような、その一見真逆とも見えるような人物設定であったとしても、人は話し合いによって心を通わせ、交差する面を持つのだと、そういう基本的なことを気づかせてくれる。人と人は親子であっても別人格で、わかりあおうとしなければわからないとか、そういう単純なことの気づきをくれる。


また、このドラマの前半の回は、各登場人物が極端な人物設定を強調しているように演じていたが、それが少しずつ変化しているのが面白い。主人公の香取さんも、上野樹里さんも、言葉も身体から発するものがトゲだらけで、目がつり上がって、頬がこわばっているかのようだったが、それが回を増すごとに変化している。目元は柔らかくなり、立ち姿もまるで背中に入っていたハンガーを抜いたようであり、語尾もやわらかくなっている。言葉のやりとりにも、温かみが出てきている。


そして、同僚や身内も単に明るいという人物設定ではなく、弱さや悩みをそれぞれに抱え、それを周囲に見せていくことによって、極端さが丸みを帯びて愛らしい人物へと変化している。


このドラマは、一見明るい感じだが、弱さを見せ合うこと、弱さに寄り添ってもらうことで、人に迷惑をかけながら生きて、その過程でお互いしだいに理解をしていくということの連続だ。ずっとずっと明るい人なんていなくて、明るさは、時に弱さをオブラートで包むものであり、時に毎日を楽しく過ごす武器なんだと思わされる。


特に、「弱さ」をさらけ出し、人に助けを求めるということに素直になったとき、人は本当に助けてくれるんだなとしみじみと思ったりする。おせっかいな人が、おせっかいを押し付けるという構造かと思って最初の頃は観ていたのだが、おせっかいな人の行動をきっかけに、それをされる側が、バリアを解いて、おせっかいを素直に受け止めて、寄り掛かろう、助けてもらおう、そこに感謝をしようと思うことで状況は動き、人とわかりあえる部分が生まれて深まるのだとわかる。


だめな部分、弱い部分を持たない人なんて誰もいないんだ、どれだけ人にそれを見せていくかの違いなんだと、このドラマでは思わされることが多い。そこもまた人間関係ってそうなんだろうなと思わされることの一つだ。そして、弱さを乗り越えたひとが、いつしか他者に、自分が乗り越えた弱さ分の優しさを分け与えていくような、優しさのループが心地よい感じとなっている。与えられる人は与えられっぱなしでなく、与える側にしっかりと回っているのが本当に素晴らしいストーリーだと思う。


最後に、前回私が書いた記事を多く読んでくださったなかに、上野樹里さんファンのかたが多かったため、一つ書いておきたいことがある。それは、女優さんをこんなに熱心に応援するかたが存在するというのを、私は今まで知らなかった。だから、上野さんがそれだけ、魅力的な女優さんとしてご活躍されてきたのだということを、記事を書いたことで改めて教えていただいたような気がする。


私は上野樹里さんを、映画初主演作の「スウィングガールズ」を2004年に試写会で観て、存在感のある元気な女優さんだなと思った以降、全く注目して演技を観てきたことがなかった(もともとテレビやドラマを観ないため、のだめの評判くらいしか存じ上げず)。でも、今回の「家族ノカタチ」で上野さんの現在のお芝居を観て、大味な演技をするかたという印象が、ずいぶんと落ち着いた女性を演じる女優さんになられていたのだと、新鮮な驚きがあり、これからもっと注目していきたいと思った。

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そして、主演の香取さんもまた、どんどんと包容力のある男性となっていく姿がとても好ましいと思っている。この作品の香取さんは39歳の等身大の男性を、しっかりと大地に足を踏みしめるかのごとく演じている。上野さんも香取さんも、私にとっては観たことにない側面を見せて楽しませてくれる、この「家族ノカタチ」を、最後まで応援していきたいと思う。どんなに小さな感想でも、声を出さない感想は世の中に伝わらない。だから、私は書くことで応援を続けたいと思う。


では、また。