草なぎ剛さんの「スペシャリスト」での少年性

こんにちは、検索迷子です。


今日は、草なぎ剛さん主演の連続ドラマ「スペシャリスト」の第7回までの感想を書きたい。草なぎさんの、少年性のある演技について書こうと思う。


これまでスペシャリストを視聴して、5回感想を書いた。


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連続ドラマ開始がSMAPの会見直後ということもあり、応援の意味も込めてできるだけ多く「スペシャリスト」のレビューをして、今このときの草なぎさんの魅力を伝えたいと思って書いている。私はこれまで、草なぎさんの話題を38記事を書いてきたが、実は、「スペシャリスト」の記事は、他のSMAPメンバーの記事に比べて閲覧数が各段に少なく、自分でも意外な思いがしている。


閲覧数が、SMAP全体あるいは個別メンバーのことを書くときの5分の一以下で、あれ、どうして草なぎさんのだけ読まれなくなったのだろうと思うことが増えた。私の書く力が足りないというのは(ずうずうしく、思い切って)棚に上げるとして、半年近く少なからず草なぎさんに注目して表現して、自分なりに理解が深まった部分もあったような気がしたが、まだまだ草なぎさんの魅力を自分は伝えきれていないんだろうかと思うようになってきた。


もしかしたら、自分は自分が持っている草なぎさんのイメージにとらわれすぎているのではないか、いっとき読んでくださったかたにも、「ちょっと納得しかねる」と思われるようになったのか、と思うようになった。それならしばらく、草なぎさんの話題を書くのをやめて、他のメンバーの話題を集中的に書いてみようかとも思うようになったりした。


でも、そう思いつつ今日も書こうとしている。それは、私自身もここを乗り越えたい気持ちがあるからだ。きっと草なぎさんの魅力をもっと探り、いままで書いてこなかった部分にも目を向けようとするここからが、自分にとって、草なぎさんを書き続ける分岐点になると思っている。


もともと、草なぎさんの素晴らしさを自分のために記録したく書き始め、依頼されて書いている文章ではないだけにいつだって書くのを止められるけれど、いま、自分のためにも止めてはいけないと思って、気持ちを切り替えていこうと思う。書き続けていけば私の視点がまた、ファンのかた、ファン以外のかたにも何か一つでも共感してもらえることもあるだろうから、ただ無心に書こうと思っている。私は自分が書いた草なぎさんの印象を、自分で最新のものに塗り替えるよう、もっと草なぎさんの存在に対して、きちんと向き合っていこうと思う。

スペシャリスト」での少年性

草なぎさんは「スペシャリスト」で、頭脳明晰でありながら、ひょうきんな側面を多数見せる主人公を演じる。この少年性は回を増すごとに、よりコミカルになっていく。直近の病院を舞台とした第7回では、番組前半に、各診療科を回診しながら怪文書をもとにした「院内七不思議」を、各科のフロアの足を踏み入れたと同時に、まさしく秒速で解決していった。その早業は、主人公の役柄設定が頭脳明晰とわかっていても、いくらなんでもこんなに早く? と驚かされた。


あまりにも軽快なこの番組前半のテンポにあっけにとられつつ、後半の事件解決に向けた緊迫感と相まって、ドラマにメリハリを生んでいい効果を出したと思う。これが事件の核心部分の解決シーンだとしたら、問題解決が速すぎるとか、理解が追い付かないとか、複数の課題が差し出されることで個別のエピソードが薄まるのではとか、突っ込みどころがあるような場面だが、なぜかそれはさして気にならなかった。


それはどうしてなんだろうと考えると、この個別の問題解決シーンは、もはやショートコントのように凝縮されたテンポの良さと、草なぎさんの少年性の連打にあるのではないかと思った。一つずつのエピソードは、七不思議のカードをベースによって、その病巣となっている問題が解き明かされ、室内を一瞥する程度の時間によって問題解決をしていく。主人公は、どんどん七不思議のカードの意味をかみ砕き、病状と診断理由を説明し、罪名とランク付けをし、処方箋を出すかのような作業を連続して行っていく。


例として適切かわからないが、まるでミュージカルのように、歌って踊るかのごとく軽やかに、草なぎさんは一つひとつの場面の解決にあたる。このシーンを観ながら、草なぎさんって大人の男性になったいまだからこそ、この少年性を軽やかに演じているのではないかと思ったのだ。


と、書くと、え、草なぎさんには天使と言われるような、もともとの天然の愛らしさがあるのではと思われるかたもいるだろうが、私は今回の「スペシャリスト」の草なぎさんのかわいらしさは、いい意味で草なぎさんが年齢を重ねたからこそ生み出せるものだという思いを、回を重ねるごとに持っている。


少年性とか愛くるしさを「演技」というカテゴリーで演じようとするとき、そこには客観性という、いい意味で突き放すことができるあざとさがないとできないのではないかと思う。実年齢も若くて愛くるしくてという、演じなくても本人の外見や性格そのままで、愛らしさが浮き彫りになる年代はむしろ、この少年性は出せないのではないかと思ったのだ。


若ければ演じる幅は小さくても、仮に省エネで演技していても相手がくみ取ってくれる部分が大きいだろう。また、演じる側としても自分とのギャップが少ないだけに、振り切れなかったり、あるいはわざわざ振り切らなくてもいい部分もあるかもしれない。もしかしたら本人像と近すぎて、面白味が出にくかったのではないかと思う。


少し古い話題で恐縮だが、昔、スマスマで「計算マコちゃん」のコントを中居さんとやっているときの草なぎさんは、中居さんのマコちゃんほどに振り切った役ではなく、終始押され気味の「ツヨちゃん」でいた。もちろん、その役柄設定もコント上のものだったとは思うが、あのとき、愛される男子役として、愛らしさやコミカルさを不器用そうに、時に素が見えるかのように戸惑いながら表現していた草なぎさんは、今回の「スペシャリスト」の主人公役のなかにはまるでいない。それどころか、あのときマコちゃんに見たような、計算されたかわいらしさを草なぎさん自身が演じ切っている。


草なぎさんの純粋な透明な心はきっと、年齢を重ねても変わらないままだと思うが、年齢を重ねた分、確実に「少年性」や「愛くるしさ」を演じる姿勢は変わったと思う。20代前半の草なぎさんが演じ切れなかった、出し切れなかった部分がいま、確実にいい形で目の前にある。20代前半の草なぎさんは時折、部分的に「そこまではできない」というブレーキをかけたり、「そんなオーバーアクションは自分には無理」とか「自分の引き出しにないものは出せない」と、自信がなさげにコントや演技をしていると見えることもあった。


でも、草なぎさんはさまざまな演技を経験されてきて、いま、どんな役柄にも振り切ることができる。そして、今回の「スペシャリスト」では、少年性や愛くるしさの連打といった、いままでありそうでなかった側面を見せてくれている。さらに驚くのが、計算された演技でありながら、そこが、あざとくも計算深くも見えないところがまた、草なぎさんの素晴らしさだと思っている。


自分ももっと若かったころ、若いというだけで、少女性やかわいらしさの役割を求められたり、その部分だけをほめ言葉にされることに抵抗があった。もっと大人の側面が自分にはあり、かわいいと言われることが侮辱にすら聞こえたことがあった。もっと違うほめ言葉で自分を表現されたいと、若さならではの長所を出し惜しみしていたと今では思う。本当に若かったときのほうが、人間としての愛らしさを見せることにブレーキをかけていて不自由だったなと思う。だけど、年齢を重ねるごとにそれが自分だと開き直ってからは、自然と子どもの側面や、人として自然に持ってる愛らしさのようなものを出せるようになった気がする。


草なぎさんがどんな思いでいま、少年性や愛らしさの自分の側面を役柄に反映しているのか、知ることはできないが、確実に、「スペシャリスト」の主人公として、役柄の人物設定を見極めた表現方法であるのがわかる。その姿はナチュラルでありつつ、実はとても計算しつくされている。といっても、草なぎさんにどうやって演じているかと口で説明してもらえるような単純さではないと思うが、主人公がとりそうな行動、身体の揺らし、遊び心、口調や語尾、そういったものがぶれないように作り込まれているのは伝わってくる。


スペシャリスト」の主人公役を、10年前の草なぎさんが演じたら、きっとまったく違った純粋で線が細い青年役だったようにも思う。41歳の大人の男性として、役者経験を積まれた草なぎさんの今だからこそ出せる、この少年性や愛くるしさは、私たちの心に軽妙に入り込んできて、まるで宅間善人という存在が実在するかのような親しみにつながっている。まだご年齢的に「老成した愛らしさ」という段階ではないが、さらにこうした丸みのある役柄や、コミカルな場面を演じる草なぎさんの演技の深まりに楽しみは尽きない。



「少年性」を演じるのは難しい。少年が演じれば「少年そのもの」だし、年齢を重ねた大人が演じれば「無理をして少年っぽく見せるおじさん」にもなりかねない。でも、「スペシャリスト」の草なぎさんは、ごく自然に、この主人公はずっとこうしてひょうひょうと生きてきたのだと思わせてくれる、永遠に少年性を兼ね備えた大人の姿を見せてくれる。あざとさという言葉とは無縁の、この微妙な少年性のさじ加減を、草なぎさんは回ごとにますます磨きをかけて、その姿を見せ続けている。連続ドラマの最初のころより、この「少年性」はさらに磨きがかかり、主人公の愛くるしさが増しているようにも思う。


ドラマは最終章に入る。草なぎさんの「少年性」がどこまで進化するのか、さらに見守り続けたい。そして、私もあと何回、応援記事を書くのかわからないが、草なぎさんの素晴らしさを書き続ける挑戦をしたいと思う。努力をしているひとの応援のために、自分も本気でついていきたいと思う。書くことでしか応援できないが、書くことで応援できるのだと自分に自信を持って、一人でも多くのかたに「スペシャリスト」をおすすめしたいと思う。


では、また。