香取慎吾さん主演「家族ノカタチ」の感想

こんにちは、検索迷子です。


今日は、香取さんが現在、出演している「家族ノカタチ」の感想を書こうと思う。


以前、香取さんの誕生日に同番組を初回から第3回まで視聴して、香取慎吾さんの年齢相応の演技への挑戦を書いた。今日は、第6回までを継続して観て、さらに気づいたことを書きたいと思う。ただ、私自身はドラマ本編のレビューというよりは、香取さんに着目したレビューとなるため、そこはご了解いただきたい。

人との距離感を常に考えさせてくれるドラマ

香取さんの連続ドラマを、毎回欠かさず観るのは、失礼ながら2008年の「薔薇のない花屋」以来だ。だから、私が香取さんのドラマをきちんと評価できるか自信はないが、現在、夢中になってドラマを視聴しているので、心を込めて本気でレビューをしたいと思う。


最初の数回は、SMAPを応援したいという気持ちから「SMAPメンバーが主演している」という理由で視聴していたが、今では、香取さんを中心としたこのドラマに引き込まれて、毎回楽しみに観ている。テレビを観る予定を手帳に書いておかないと、日頃テレビをつける習慣すらない自分が、このドラマを観るために、他の予定があってもダッシュで帰宅するくらい夢中になっている。


実は、前回応援の意味もあって記事を書いて以降、継続してドラマレビューをするだろうかと思っていたが、続けてまた書きたいという思いに突き動かされた。


このドラマは、回を増すごとにどんどんストーリーが面白くなり、安定感を増している。どんどんキャストの方たちが伸びやかになっていき、ドラマの登場人物が生き生きとしていく。登場人物の会話に、はっとさせられたり、共感したり、考えさせられたりして、脚本の良さや会話のテンポの良さもある。


不思議なのは、家族のありかたとか、恋愛観とか結婚観とか、人間関係とか、ドラマのなかにある設定の中には、自分とのなんの共通項もない。だから、数話観て、ホームドラマとか、恋愛ドラマってこういう感じねと思って、結末も勝手に想像して、観ないようになるのかと思ったら、実はまったくそうではなかった。


人と人との距離を、このドラマは常に考えさせてくれる。一人が好きだと思いつつも、人と関わらずに生きることなんてできないという現実のなかで、どこまで人と心を通わせ、自己開示をしていくのかを、ふとした一言で考えさせられることが多いのだ。人の心をノックしたり、ノックされたりしたとき、どこまで踏み込んでいいのか、どこまでドアを開けるのか、自分だったらこうだなとか、え、そこまでするのとか、人の心や距離感を、重たくない程度に見せてくれて、そこに何かじんわりと考えさせられるのだ。


共感することもあれば、自分の考え方との違いを見せられた時の違いを含めて、人と人の距離っていろいろあるんだなと思わされることが多い。それが現実離れしたようなものであれば、ここまで夢中になって観ることはなかったと思うが、なにか、過去自分が置き去りにして忘れていたような感情までを、ドラマのシーンは思い出させてくれたりする。あ、あのとき自分がとった態度はこうだったのかもしれないと、甘酸っぱい後悔とともに思い返したり、そうかこうすれば良かったのかと思ったり。


ドラマは、登場人物も多く、一人ひとりにストーリー性があり、それをらせん状に少しずつ回収するような作りになっている。一見、エピソードが多すぎたり、一話完結ではない持ち越しの話題も多くて収拾ができないような気もするが、「そんなに簡単に、人と人の心の問題は解決できるものではない」ということを考えると、この人と人が関わることによって、状況が少しずつ変化するというのは、ごく自然のことのようにも思える。

香取さんは白を演じるかのように存在する

この「家族ノカタチ」は、回を重ねるごとに、主演の香取さんの透明度が増していく。不思議なのだが、どんどん香取さん以外のキャストの方たちのキャラクターが、躍動感を持って動き始めていき、濃い色彩のようになっていく。このドラマは、それぞれにスポットをあてたエピソードが膨らみ、サブキャストのかたがメインのようなストーリーとなることも多く、主演の香取さんはそこに引きずられて、独身生活をかき乱されているという展開となるが、主演の香取さん自身には大事件ということはまだ起きていない。あくまで、人によってもたらされたものに、心理的にも物理的にも右往左往する役割だ。


その、主役が常に同じ地点に立ち、自分は自分の城から動くまいとしているところ、決められたタイムテーブルにのっとって規則正しく生活しようとしているところを、周囲はかき乱す。恒温動物のように生きようとする主役に対して、周囲がもちこむあれこれによって、時に主人公は変温動物のようになることを求められる。その居心地の悪さを感じる部分、周囲に適応とする部分の両方のせめぎ合い、心の平静の保ちかたや葛藤が見どころの一つでもあるが、香取さんがその部分を本当にバランスよく演じていると思う。


香取さんといえば、キャラクターものの演技や、コスプレなどで何かになり切るという演技がとてもうまく、ほどよく「盛った」役や、全身を使ったオーバーアクション、時に長身を生かした凄みのある役どころに持ち味があると思っていた。が、このドラマでの香取さんは、淡々とした静かな役柄だ。苛立ちでときに感情をむき出しにした発言はするものの、長い手足もトレーニングシーン以外ではほとんど動かさず、豊かな表情を作る表情筋すらも必要最低限にしか動かさず、目の動きだけで気持ちを表す。


ナレーションで心の声を語っているような饒舌さや本心は、ドラマの会話のなかにはなく、香取さんはほとんどのシーンを静かなたたずまいで演じている。その静けさが、周囲の人たちのがちゃがちゃした感情の行き来を生々しく演出している部分と対をなして、周囲の人間味を際立たせる効果を持つ。その人間らしい部分を、天空から傍観しているようでありながら、渦中に巻き込まれていくさまに、少しずつ主役は透明だった部分に色が足されていくように、人間らしい雑多な色がマーブル状に足されていくような感じがする。


でも、香取さんの演技は、色が足されて別なものになるのではなく、むしろ回を重ねるごとに、どんどん透明度を増したものを視聴者に差し出してくれているような気がする。それは、役柄として演じている、潔癖人間からの変化でもある、「許し」とか「包容力」のような部分が大きい。でも、それ以上に思うのは、香取さんご本人がキャストのかたたちを輝かせようとする気持ちや、ドラマ全体への俯瞰度が増したようにも見えるのだ。香取さんはどんどん抑えた演技をすることによって、自分が「静」を演じ切ることによって、周囲の「動」を徹底して引き出しているように思うのだ。


主役自身が、主役以外のキャストのかたを輝かせていると、ここまではっきりとわかるドラマを観たのは初めてかもしれない。「家族ノカタチ」はもともと、素晴らしいキャストの方たちばかりのドラマということもあるが、そのキャストのかたたちに的確にスポットライトをあてて、「光」を見せているのは、「影」をしっかり演じる香取さんの演技にあるように思えてならない。


と、ふと考えてみると、香取さんはライブなどの演出をしていることもあり、プロデューサー目線を持っているかたで、SMAPメンバーをどの場面でどう使っていけば輝くを増すのか熟知しているかただ。その、メンバーの長所を見抜いた構成力も凄いと思うが、何よりも凄いのはご自身がアーティストとして演者でありながら、自分をも客観視できるということだ。自分の輝く場所すら、自分で演出できるという稀有な才能がある。そういった部分が、このドラマでは表れているのだと思わされるのだ。


自分が主役のドラマにおいて、自分以外に光を当てることが一番いいと思われたかどうかはわからないが、でも、実際にこのドラマはそう見えるのだ。香取さんが自分を見て見てという形で演じるどころか、自分以外のキャストを丁寧に引き立てる役を演技をすることによって、香取さんの座長力というものがより際立つ効果を生んでいるように思う。光があたっているのは、他のキャストのかたたちだけど、光を当てている香取さんが静かに中心に大きな樹のように立っていると、このドラマは回を増すごとに感じさせてもらえる。私は、このドラマを通して初めて、SMAPの末っ子の香取さんという見方から、座長としての香取さんの凄さを実感している。それほどに、香取さんの立ち位置は落ち着いたものを感じる。


また、香取さんは絵を描くかただから、絵にも置き換えて表現してみようと思うが、香取さんの描く絵は、色彩豊かという印象があった。そして、いろんなパーツがめいっぱい書き込まれて、にぎやかではじけている絵を描くのをテレビなどでよく観てきた。それらは、天真爛漫な慎吾ちゃん、とつい言いたくなるような絵だとずっと思っていた。


だけど、ふと、ドラマの演技を観ながら、香取さんは「白を描ける」「空白を表現できる」ひとなのではないかと思ったのだ。色の持ち味を出すためには、白や空白がないとその良さは出ない。全部が色同士だとけんかをしてしまう。だから、絵には白があり、空白がある。香取さんの絵は白い部分に余韻を出すような風流さとは違うが、白があることで、きっちりと色彩を立てるということをしているのではないかと気づいた。白の使い方を知っているからこそ、色を多用していけるのだと思うと、香取さんにとっては、白も空白も色の大事な要素なんではないかと思った。


香取さんは、この「家族ノカタチ」でどんどんと透明度を増し、空白を演じる力に磨きがかかっている。私は香取さんのドラマを全く観ていない視聴者だったが、このドラマが、香取さんのプロフィール上の代表作を上書きされる作品になると思っている。香取さんは役柄のなかに生きて、周囲を輝かせていくほどに、役柄に徹している部分が本当に素晴らしく、そこに過去観てきた太陽のような、末っ子キャラの香取慎吾さんの姿はなく、新しい香取さんの一面がここにある。いい意味で香取さんが出演していることを忘れさせてくれる。香取慎吾のパブリックイメージというものを回を増すごとに、どんどん崩してくれている。


30代最後の年齢に、静かさ、影、空白の間合いを演じる、この香取さんの演技に引き続き期待をしたい。自我を消すかのように透明度を増す香取さんのその、本気の演技を応援していこうと思う。テレビをほとんど観ない視聴者を一人、こうして熱く語らせるほどに、香取さんの演技と「家族ノカタチ」は本当に素晴らしい。ドラマのメッセージでもある、人との距離感をしみじみと考えさせてくれるのは、香取さんを座長としたキャストのかたたちの、演技のたまものだと思っている。


もっと多くのかたに、リアルタイムでぜひ視聴していただきたいと思う。いま放送されているドラマの息吹は、いま、この時に受け取ってこそ威力を増す。このドラマの勢いを受け取ってほしく、一人でも多くのかたに紹介したいと思って今日は書いた。


では、また。