草なぎ剛さんの『これが僕です。』の言葉(3)

こんにちは、検索迷子です。


先日、SMAPさんのパフォーマンスの一秒の価値
書いたが、びっくりするほど多くのかたが
読んでくださった。
ブログもTwitterも過去最高アクセスとなり、
フォロワーさんも急増して本当に驚いている。


9月に草なぎさんの話題を書き始めた頃、
私はすべてを脳内再生だけで書いていた。
録画機能もなく、Twitterもアカウントが
あるだけで使っていなかった。だから、
記憶だけを頼りに書いていたのだ。


でも今は、フォロワーさんからの情報の
おかげで、書こうと思う気持ちが視覚的に
後押しされている気がする。


自分のぼんやりとした考えを文字にして、
それが共感していただけたり、
こんなにさらりと書いたものに、
書いてくれてありがとうと言ってくださる
かたが多くて、毎回恐縮してしまう。


草なぎさんのことをたまたま書いたひとつを
きっかけに、それで終わると思ったのが、
ここまで続いているのが時折不思議になる。


自分が書く草なぎさんやSMAPさんの見方は、
あまり文字にしてきたひとがいないのかと、
いただくコメントから感じて、
こんなに長く活躍されているグループなのに、
意外な気もした。


私はもともと、ブログでいろいろレビューを
しているが、SMAPさんや草なぎさんだけを
特別な書き方をしているわけではなく、
テンションもほかの話題と同じで、過剰に
持ち上げたり突き放すこともない。ただ、
凄いと思ったままをそのまま書いている。


でもそれで、書いてくれてありがとうと
言っていただけるなら、これは私に与えて
もらった役割かもと思うようになった。
今は、感動を常に与えてくれるSMAPさんや、
初期から見守ってくださった、草なぎさんの
フォロワーさんたちに感謝しつつ、私こそ
書かせてもらってありがとうという気持ちだ。


SMAPさんたちは、書くことで自分も発見が
多いというのもあるが、言葉にすることが
こんなに望まれているなら、少しずつでも
荒削りでも形にしたいと思うようになった。


と、今日の本題に入るまでがいつもより
長くなってしまったが、フォロワーさんが
増えたことへの感謝と、まだこれからも
書きますよと言う気持ちを残しておこうと
思った。



数回書こうと思っていた話題を、年内に
書き終えたいと思っているので、今日は
以前の続きとなる草なぎさんの話題です。


先日、
草なぎ剛さんの『これが僕です。』の言葉(1)で、
著書中の「おまえの痛み」を取り上げ、
草なぎ剛さんの『これが僕です。』の言葉(2)で、
「若者よ!」を取り上げた。これは、
自信と不安の行きかう感情を書いたものだ。


今日は、著書中から「”NO!”が言えない」を
取り上げる。


これはもともと取り上げたいと思っていたが、
23日放送の、
さんま&SMAP 美女と野獣のクリスマススペシャル』の
香取さんと草なぎさんのやりとりを観て、
これを書こうかとしばらく考えていた。


まずは、引用からしたいと思う。
1997年4月刊『これが僕です。』、
草なぎ剛さん著、ワニブックス刊より。

これが僕です。

これが僕です。

PART.2 脳で読む文章ー考えちゃう編

”NO!”が言えない


 NO!NO!NO! そう、僕はNO! が言えない男なのだ。簡単に言えば、断ることができない男なのだ。もっと簡単に言えば、情けない男なのだ。ア〜ア〜。(タメ息)しかし、こんな僕のことを、優しいじゃんとか、カワイイじゃんとか、人がいいじゃん! と言ってくれる人もいるんだけれど。
 しかし、世の中を代表する男! 草なぎ(原文は漢字)剛にしてみれば(おいおい)、ちょっと思わしくないんだよね。
 優しいから、断ることができない。それでいいのかよ〜、剛!
「ツヨシ、しっかりしなさい!」
 というアニメがあるが、まさに僕のことを言っているみたいだ。テレビの画面に、
「ツヨシ、しっかりしなさい!」
 と、タイトルが映ると、いつもドキッとしてしまうんだよね。アニメにうとい人は、何言ってるかサッパリでしょ。まぁそれはそれでよいとして(よくないだろが! 誰かに聞いてね)、本当に、剛、しっかりしなさいなのだ。
 まず、断ることができない、すなわちNO! が言えないとどうなってしまうか、説明しとこう。
 これは、あくまでも僕の考え、そして実体験なんだけど、ハッキリと断ることのできない人間というものは弱く見えるし、中途半端な人間にも見える。そして、まわりの人間は、それをいいことに、やっかいなことをその人に押しつけたり、中途半端な接し方をしてくる。
 例えば、相談もなしにまわりの物事が進んでいるとか、あいつなら30分遅れても待ってるから平気だよとか、あいつなら1000円借りても大丈夫だよとか、あいつなら殴っても平気だよ〜、となってしまう。そして最後の締めくくりの言葉は、
「あいつは優しいから平気、平気!」
 これですべてのことは、水のアワのように流れてしまうのだ。もちろん、一番悪いのは断ることのできない自分であって、それ以外の何者でもない。まるでイジメられっ子だよなー。


と、前段で”NO!”が言えない自分を
冷静に分析している。さらに、ご自分が
された「中途半端な接し方」を語り、
でも、そうされる「断れない自分」が
悪いと書いている。


このあと、イジメの話に進み、
イジメる側や周囲にも責任はあるが、
本人にも原因があるのでは、
と草なぎさんは書いている。
その話のあとから、再び引用する。

 今、僕が言っていることってすごく単純だけど、本当に断れない奴っているじゃない。僕がかろうじて本物のイジメられっ子になっていないのは、ここ一番という時には必ずNO! を出してきたからかな。ここ一番という時って、誰にでもあるでしょ。それを譲ったらダメになっちゃう瞬間って。まずそれに自分が気づくことがイジメをなくす方法だと、僕は思うな。
 今の世の中って、すべて正当な意見や考えで物事を直していったり、進めていくことが多いでしょ。さっきから話しているイジメについてだってそうなんだけど、すべての人が僕みたいにマジメに素直であったならば(おいおい)、イジメなんかは起こらないけど、世の中にはいろいろな人がいるんだよ。見たこともない、聞いたこともない悪人だっているんだよ。そういう悪いことを教えることだって、僕は立派な教育だと思っている。
 悪いことを隠すより、それをきちんと説明してあげるのが本当の教育だと思う。すごく悲しいことだけど、正当な意見や考えだけで教育していく世の中では、永遠にイジメはなくならないと思う。だって、いざという時に”NO!”が出せない子になっちゃうもん。


NO!が言えない自分だとしても、
ここ一番という時に、必ずNO!を出す、
譲ってはいけない瞬間に自分で気づく、
と、最終的には自分の責任で自分を
守るという意志の強さを感じる箇所だ。


そして、正論だけを知るのが教育では
なく、悪い側面を知らせたり説明する
ことも教育だと思うと書いている。


自分の内面的な弱さを、イジメや教育
までに話を広げているが、一貫して
外部に責任を押し付けるのではなく、
自分の内面に核をしっかり持つように
示唆しているのが、やけに胸に響く。


いざという時に”NO!”が出せない子に
なってはいけないと、草なぎさんは
さまざまなシーンで体得したのかと思うと、
優しい人扱いされてきた人ならではの苦労
というか、心の葛藤がうかがえる。


自己防衛のための一線を持つといいという
結論めいたものを導きだした、その過程に
いくつものくやしさがあったのかを、
垣間見た気がする。


と、この話を先日の番組で、「怒らない人」
扱いをされていた話をからめて書こうかと
思ったが、その時点で書くと、草なぎさんと
香取さんの長いつきあいや魂のつながりを
ちょっと無視したようになりそうで、
いったんそのタイミングで書くのをやめた。


後日談を、香取さんがファン限定サイトで
書いたと知り、ファンクラブ会員ではない
自分が推測でなにかを書くと、ややこしく
なりそうで、この話とからめるのはやめにした。
私は基本的に、自分が現物を目にしていない
間接的な情報は使わないことにしている。


草なぎさんが”No!”と言えない自分とどう
向き合ってきて、この瞬間はと思う時には、
きちんと”No!”を出せるようにしようと
考えてきたその強さにたどり着いた、
そしてそんな自分の考えを本の形で知らせ、
さらけ出しているところに、本当の強さが
潜んでいると思って、今回、取り上げた。


余談だが、知っているかたは多いと思うが、
文中の「ツヨシ、しっかりしなさい!」は、
アニメもあるし、オートレーサーとなった
森且行さん主演でドラマ化もされた作品だ。
作品自体はアニメもドラマも視聴しておらず、
その作品のWikipediaのリンクを貼っておく。
ツヨシしっかりしなさい - Wikipedia


また、さらに脱線するが、
私が草なぎさんを気になり出してから、
一年以上愛読している表記違いではあるが、
同名ブログもある。
以前、ブログ主さんにサイト名がここから
ヒントを得たと伺ったことがある。
内容はアニメと無関係の、草なぎさんブログだ。


ご存知のかたも多いと思いますが、
とても質の高いレポートをされているので、
リンクを貼らせていただきます。
剛 しっかりしなさい! - livedoor Blog



今日は少し内容が具だくさんになったが、
なんとか年内にこの書籍の話題を完結させて、
SMAPさんの年末年始番組レビューも、都度、
早めに書ければと思っている。


では、また。