SMAPさんの『Otherside』のOtherside

こんにちは、検索迷子です。


今月初めに、FNS歌謡祭を観て、
SMAPさんの『Otherside』の重なる声を書いた。
SMAPさん5人の声が1人ずつ重なりあうごとに、
声の深みが増すことを綴ったものだ。


ちなみに、この声の重なり方に、何か名前が
あるのかとボイストレーナーの先生に聞いた
ところ、特に名称はないようだった。
ボーカルが単純に一人ずつ増えていくという
ことなので、輪唱でもない。


ここを特別な技法のように思ったのは、
SMAPさんの声の重なりがそれだけ奇跡的な
重層化に成功しているゆえのことだと、
妙に納得したのだった。


実は、そのときにもう一つ気になっていた
ことがあり、書こうかどうか迷っていた。
少し時間が経過して、自分なりに答えが
見つかった気がしたので書き留めようと思う。
『Otherside』の感想を過去に書いた自分の、
Othesideの部分、と言えるだろうか。


もしかしたら、ファンのかたからすると、
え、そんなこと、と不快になる部分もあると
思うが、最終的な結論としては、SMAPさんの
凄さというところに落ち着くので、
あくまで私がそう観ていた、という思考の
プロセスだと思っていただければと思う。


最初に観た感想のあと、しばらく考えて、
自分なりに腑に落ちたので、やっと書ける
ようになったのだ。


『Otherside』のパフォーマンスを最初に
観た感想は正直に言うと、新曲発表時から
ずいぶんとパフォーマンスが荒くなって
いるなぁと気になっていた。
作曲をされたMIYAVIさんとのコラボという
こともあり、新曲発表当初の振り付けを、
MIYAVIさんとのジョイント部分は変えている
というのは当然わかった。


でも、あれ、肩組みの振り付けがないとか、
縦一列がやけにガタガタだなとか、
V字に並ぶところがちょっとずれているとか、
たぶん会場の床が立ち位置のガイドライン
見えるような柄だったせいか、
なんとなく全体的に新曲発表時から荒くなった、
と思ったのだ。


これはたぶん、私が子供のころジャンル違いの
踊りをやっていたこともあると思うのだが、
集団で踊るときの立ち位置や、ラインを整える
というのは基本的なこととして教わったから
だと思う。
また、私がやっていた踊りには、いわゆる教本
というものがあり、先生が曲に合わせて踊って
いる姿が、歌詞や拍子とともに、写真付きで
掲載されているものがあり、それで自主練を
していたこともある。


つまり、基本通りに踊るということが良しと
思っている頭があったせいか、新曲発表から
数か月経過しただけで、ここまで細部が変わるの
かなとぼんやりと感じていた。


ただ、その感想をしばらく書かなかったのは、
その日のパフォーマンスが多くのファンの
かたに好評で、圧倒的な覇王感と書かれていて、
あれ、私の受け止め方が何か違うのかなぁと
考えていたのだ。


たしかにパフォーマンスは素晴らしかった。
でも、なにかもやっとした感じがあったので、
他のかたが受け止めた温度を、そのまま
自分も受け入れてみようと思って、少し見方を
変えてみることにした。
ほかのかたと同じように楽しむために、
どんな見方をすれば違って見えるかと考えた。


それで、SMAPさんのパフォーマンスって、
常にライブなんじゃないかと改めて思い返し、
その瞬間を楽しむことに集中すればいいと、
なんとなく答えらしきものがわかった。


決まりきったダンスを機械的にきれいに踊る
ということは求めてなくて、
場の空気に合わせたメンバーのテンションで
流動的に変わって、その時間が盛り上がり、
楽しさに浸りきっていいんだと思った。


そういうパフォーマンスのスタイルだと思うと、
極端な話、メンバーが全員別なダンスをして
いたとしても、楽曲の力とパフォーマンスの
威力で曲は成立するんだなと感じた。
そうわかっていれば、何も粗探しのように、
あそこがこうだという見方はナンセンスだと
わかったのだ。


という、ファンのかたなら、もしかしたら、
いまさらと思うような楽しみ方を、
あらためて発見したのだった。
その場を純粋に楽しむということ、
SMAPさんがその場を盛り上げているという
シチュエーションを受け止めるということが、
オーディエンス側の気持ちとして大切なんだ、
ということがわかった気がする。


それからもうひとつ思ったのが、
いまさらながらメンバーの適応力の凄さを
感じたということだった。


MIYAVIさんとのコラボということで、曲中に
メンバーがそれぞれ絡むところがあって、
そもそもがオリジナルの振り付けを通しで
やるようなシチュエーションではなかった。


と考えると、オリジナルがわかっているから
こそ、アレンジにも適応できるんだと思うと、
そっちのほうが凄いことなんだと思えてきた。


アレンジへの適応という例をあげればきりが
ないと思うが、私がわかる範囲で書くと、
たとえば『CRAZY FIVE』は、フルバージョン
というのだろうか、オリジナルは草なぎさんと
稲垣さんの歌の間はつながっていないが、
ショートバージョンは連続している。


ということを、そのときどきの時間の尺に
合わせて、常にやっているんだなと思うと、
このアレンジに適応する力こそが凄くて、
オリジナルがどうかなんて、何も気にする
ようなポイントではないと思えてきた。


たとえば、MIYAVIさんがメンバーのなかに
入ってという状況は指定されただろうが、
どう絡むかというパフォーマンスは、
メンバー任せだろう。


木村さん、中居さん、香取さんは絡む場面を
具体的に指定されたかもしれないが、
稲垣さんはそうではなかったかもしれない。
草なぎさんが絡むシーンがなかったのも、
どこまでが演出で、どこまでがメンバーの
独自性でか、もうそこに答えなんてないの
だろうなと思う。


私はたまたまブログで、SMAPさんのことを
書き始めたときの新曲が、『Otherside』
だったから、細かいことをいろいろ凝視
しているんだと思うが、別にこの曲だけが
特別に変化した楽曲ではないのはわかる。


SMAPさんは、一つの曲をファンとともに育て、
独自のアレンジをしたり、オリジナルに忠実で
あったりとさまざまな曲をグループ独自の
ものにしてきたんだろうと思う。


その一つの場所として、ライブがあったり、
生放送の場があったりして、同じ曲であっても
同じパフォーマンスは二度とないんだと思った。


一曲をテレビ番組で歌うシチュエーションが、
思った以上に稀有な時間で、その場をもっと
楽しまなければ損だなと思った。


昔のアイドル歌手のように、同じ振り付けを、
次の新曲が出るまで数か月歌うという時代では
もはやなく、
楽曲披露という場を使って、そのときどきの
自分たちのスタイルや温度感でパフォーマンス
してくれるのが、SMAPさんというグループなの
かなと考えたりした。


その日のアレンジは、直前に打ち合わせを
するのだろうが、これをきっと短時間で、
さくっと、短い専門用語で打ち合わせを
済ませているのだろうと思うと、やっぱり
パフォーマンスのプロ集団なんだなと思う。


打ち合わせのあとは、
個人個人が自分のすべきことを理解して
全力でパフォーマンスに臨むのだと思うと、
あらためて、一人一人の吸収力とか、
適応力のたまものでSMAPさんがグループと
して成立していることの凄さがわかる。


私自身ときどき、歌手のかたではないが、
ジャンルが違うアーティストと呼ばれる
かたの舞台のお手伝いをすることがある。
そのときに、事前打ち合わせをしていても、
複数のなかのお一人が段取りを勘違いして
いたりとか、時間の尺が大幅にオーバー
したりとかというのは、日常的に起こる。


映像として公開しているものではないから、
そこも含めてライブ感があり、リアリティ
のある場面になるので、それ自体は悪くは
ないが、レンタルスペースだと会場代や、
遠方のかたの帰宅時間にも響くこともある。


SMAPさんが凄いのは、たぶん各自が当事者
として、自己責任で持ち場を守るという
ことを知っていることだと思う。
誰かが巻き取ってくれるという依存心がなく、
自分がしっかりするという意識が高いと
感じることが多い。


ダンスや立ち位置は、誰一人として同じ
人はいない。ということは、舞台上では
自分だけが頼りだということを知り、
全体の流れを乱さず、かつグループとして
最高のパフォーマンスをするという自覚や、
メンバー間のテンションが合っていると
思うときに、5人の凄さを実感するのだ。


数多くのステージを踏んだSMAPさんは、
エンターテインメントとは何かという、
その神髄がわかっているからこそ、
日々のパフォーマンスが変化する。
そこを素直にそのまま受け止めるにも、
自分の素直さが出てしまうんだなと思った。


よく、SMAPさんや草なぎさんのことを書いて
いるのにファンではないとどうして言うのか、
と聞かれるが、
たぶん、目からハートがでるような見方を
していないんだと思っている。


なんとなくじーっと観ていて、あれっと思う
ことがたくさんあって、かっこいいーと思う
より、勉強になるなーと思うことのほうが、
圧倒的に多いのだ。


日頃、あまりマイナスイメージを持ったことを
あえて書かないようにしているが、
今日は、自分の誤解とか、曲解とか、偏見、
少ない知識から視聴直後にはこう思ったという
感想をあえて書いてみた。
でも、見方を変えたことで、別な気づきが
あったという時間経過を説明するために、
いくつか書いたが、そこはもう消化できた
ので、自分としてはこれを書けて良かった。


ファンのかたからすると、不快なことを
書いたかもしれませんが、全く悪意はない
ので、どうか誤解されませんように。


何よりも、パフォーマンスのその瞬間ごとに、
あ、と思わせてくれるようなものを、
いつも残してくれるSMAPさんの存在の凄さを、
こうして記録するごとに実感させられている。


書き残したいと思うからこそ、書いている。
自分でもどうして、SMAPさんの話題を最近
書いているのか、理由はよくわからないが、
わからないなりに考えたり、書き留めたく
なるほど、教わることが多い存在なのだ。


では、また。