SMAPさんの『夜空ノムコウ』を歌う

こんにちは、検索迷子です。


一年半くらい、
趣味でボイストレーニングに通っている。
といっても歌手を目指すとか、
人前で話をするのが苦手で矯正したい
とかでは全くない。


むしろ人前で話すのは得意そうと
言われたりするので、どうして
ボイストレーニングをしてるのと
よく聞かれる。


でもレッスンに通いだして、
得意だと思っていた話し方は、
全然相手にとって心地よくなく、
テンポも悪くて一方的で、
録音をすると声も暗くて、
直すところだらけだった。
滑舌がいいと思っていたのも、
ただ声が大きいだけだった。


と、息の使い方や、身体の使い方を
いろんなポイントで改善していくに
つれて、日常の話し方が変わったと
周囲に言われるようになった。


それと続いている理由の一つに、
声は元気じゃなければ出せない、
という発見もあった。


気持ちが落ち込んでいると、
声も沈みがちになり、
明るいトーンの声は出せない。
だけど、明るいトーンの声を出す
練習をしていると、
気持ちがどうであっても、高めの
声を出すことになる。


そうすると、気持ちをあげていく
必要があり、高い声につられて、
気持ちが逆に元気になったりする。


つくづく、声って相手がありきで、
相手にどんな風に届くかを意識
しながら出すものだなと思う。
自分のための声ならば、
独り言でブツブツ言っていれば
いいのだが、
相手に何かを伝えようとする、
その気持ち自体が声を作って
いるんだなと思ったりする。


と、普段は、好きな詩の朗読とか
滑舌練習とか抑揚などを中心に
レッスンをしているのだが、
ときどき歌のレッスンを入れている。
というのは、同じスクールの他の
教室からもれてくる歌や、楽器が
やけに楽しそうだったからだ。


歌はまったく得意ではないが、
一年くらいずっと一曲をなんとなく
続けて歌っていた。
でも、たまたまそのアーティストの
ライブに外れてしまって、
その場で盛り上がりたいと思って
レッスンしていた小さな目標が
なくなってしまった。


そんなときに、スクールの先生が
主催する発表会に招待してもらった。
私は観客で行っただけだが、
同じスクールに通う生徒さんメインで、
思いのほか、そのライブハウスでの
時間が楽しかったのだ。
皆、今日という日に向けてレッスンを
積み、人前で歌うという晴れ舞台を
楽しんでいた。


歌の力ってすごいと思って、
自分ももう少し歌を練習しようと思い、
どうせなら、いつかほかの生徒さんと
一緒に発表会を目標にしようかなと、
なんとなく思い始めた。


それで、さていざ何を歌うかと考えた
ときに、自分がもともと好きな、
歌い上げる曲ではないほうがいいと
ふと思った。


やさしい気持ちになって、
ふんわりと、でも息をしっかりためて
息で抑揚をつけるような歌はなにか、
先生と何曲か候補を挙げては歌い、
やっと一曲に絞り込んだ。


それがSMAPさんの『夜空ノムコウ』だ。
私がこのブログをやっていることを
先生は知っているが、SMAPさんを決め
打ちしたのではなかった。
男性の曲を女性のキーに上げるのも
ありかもと言われた、そのなかの曲
だった。


先生のピアノ伴奏で、
実際に歌ってみると、他の曲にはない
心地良さがあった。
歌っていることで穏やかになれるような
セルフヒーリング効果みたいな時間。


フルコーラスを歌い終わって気づいた。
私、これ初めて歌った、と。
SMAPさんの曲は聴くものであって、
歌うものではないと思っていたのか、
歌ったことがないのだ。


でも、当然耳にはリズムは入ってて、
ごく自然に歌うことができた。


ああ、SMAPさんの楽曲って素晴らしいと
もともと思っていたけれど、
歌うことでわかる良さもあるんだと、
新たな発見をした。


この曲が発売された98年1月当時、
SMAPさんはずいぶん大人っぽい曲に
今回挑戦したんだなと驚いた。


そして、じき発売から18年を迎えるが、
いまだにこの詩の世界観が壊れない。
むしろ、時間経過とともに、
どんどん世界観の奥行きが広がり、
言葉の持つ意味が際立ってきている。


SMAPさんにとっても、この曲を
受け止める一人ひとりにとっても、
時間がどんどん曲を熟成させてくれ、
本当にあらためていい曲だと思った。


つい最近起きたことの振り返りの
ようであり、青春時代の懐古の
ようであり、今も昔も不変的とも
いえる自分への問いかけであり、
明日へ寄せる希望でもある。


まだレッスンを始めたばかりだが、
この歌を自分がどれだけ咀嚼して、
どんな思いで歌って行けるのか、
楽しみだ。
今は全然ライブの予定はないが、
いつか歌える日が来るといいなと思う。


それから、あらためて詩を見返して、
びっくりしたことがある。


歌い始めの部分で、
夜空ノムコウには 
明日がもう待っている」とあり、
最後は、
夜空ノムコウには
もう明日が待っている」とある。


この「明日がもう」「もう明日が」は、
もう、の場所を入れ替えているだけだが、
ここが、入れ替わることによる効果が、
ストーリー性の広がりを感じるのだ。
「あした」と「あす」と音は違うが、
文字で見ると二文字を入れ替えてる
だけなのだ。


今まで気づかなかったが、
最初の、明日がもう、というのは、
少し気持ちが整理しきれない自分に
頭で言い聞かせるようだ。


最後の、もう明日が、というのは、
よし前へ進めと自分を鼓舞して、
吹っ切っていくぞ、という決意が
表れているように思う。


ああ、だから最後は、
うまくいかないことばかりだけど、
そういうのも受け入れて、
よし、また次に行くか、
という前向きな気持ちで聴けたんだと、
今更ながら歌詞の意味、
たった二文字の入替のインパクトを
知った。


今日は、SMAPさんの話題というより、
自分の解釈の話ばかりだったが、
こうやって、SMAPさんの身近な曲を
手元に引き寄せて考えてみると、
今まで見てこなかった発見があった。


SMAPさんは、何回この曲を歌い、
どんな思いを込めてきて、
これからどんな思いを込めてくれる
のかと思うと、大きな曲となった
この『夜空ノムコウ』の凄さと、
尊さをあらためて実感するのだ。


そして、SMAPさんが歌ったことで、
命を吹き込まれた『夜空ノムコウ』は、
幸せな曲だなと思った。
曲が人を幸せにするだけでなく、
曲自体が歌われて幸せを感じて
いそうな気がする。


では、また。