違いをわかりあうために話し合う


こんにちは、検索迷子です。


先日レビューした、TOKYO初夜ものがたり、のなかで、
印象深い一行に出会った。


鴻上尚史さんのインタビュー中で、
話し合いは、共感しあうためのものではなく、
違いをわかりあうためにするものだと思う、
だから他人に過度な期待はしない、
といった内容を見た。


手元に本がないため、うろ覚えかもしれないし、
意図は違うかもしれない。


これを読んだとき、
なんと他人と自分の距離感を理解し、
自立した考えなんだろうと、はっとした。


話しをするとき、
とかく共感を求めがちで、
わかってもらえないときには失望すらする。


でも、話し合いとは、
違いをあきらかにする場とあらかじめ思っていれば、
失望することはなく、
ああ、自分と違う考え方をしているんだと事実を、
そのまま受け止めることができる。


話し合い、と文字から感じるイメージは、
意識を合わせる、ことと思っていた。


話し合いは、単に違いをわかりあう場、
というところからスタートすれば、
心理的な負担はずっと軽い。
過度な期待をしなければ、
共感ポイントがわずかでもあれば良しと思える。


こんなシンプルなことを知らず、
これまで幾度となく、
わかってもらえないと歯ぎしりしてきたなんて。


違いをわかりあうために話し合う。


少し意識しながら、
自分の他人との対話の姿勢を見直そうと思う。


自分さえコントロールできないのに、
他人のことなんて尚更、コントロールなんてできない。


違いをわかりあうことから、
自立できる精神が育つのかなと、
はっとした一行だった。


では、また。