最後の話

こんにちは、検索迷子です。


人と出会って、別れてという状況は、
意図せずにやって来ることもあるし、
何月何日にと、事前にわかることもある。


お別れの挨拶や、
最後の話を、インターネットで検索できる、
というのは、少し時間にゆとりがあり、
事前に準備ができるゆえのことだろう。


私自身は、挨拶を検索したりしたことはないが、
挨拶がありそうという状況が予測されるときは、
何を話そうか、頭の中で組み立てるというのは、
割と無意識にやっている。


確実に話すと打診されているときは、
内容や場の雰囲気、長さなどを意識する。
ストーリーの組み立てをしたり、
ブツブツと鏡の前や、
頭の中で練習することもある。


話さないかもしれなくても、
当日いきなり振られるかもというときは、
もう少しコンパクトに、
このキーワードや要素は盛り込もうと考える。


用意しても話題を振られないこともあり、
一見無駄に見えるが、事前に考えるのは、
喋りのトレーニングになる。


ときどき、挨拶を振られて、
絶句したり、
今初めて聞いて戸惑ってます、
という話から入る人がいて、
その素直な反応は微笑ましい。


でも私は、挨拶は、さらりと口にだせるくらい、
文章を組み立てたり、
言葉を選んだり、
その場にしかない、
前の話し手の会話を受けたり、
キーワードを踏襲したり、
ということが割と楽しい。


話を振られたら、即、話し始められるよう、
できるだけ準備していたい。


といっても、アナウンサーみたいに、
長さまでには気はまわらないが、
せめて、
場にふさわしい話をよどみなくしたいなと思う。


3月末は、
最後にまつわる話をする機会がとても多い。
お別れをしたり、送別だったり、
メッセージをと一年で一番言われる。


どう話すかより、
たった一言話したいことは何だろう?
と考えておくだけで、
事前準備は十分かと思う。


最後の話だからといっても、
つながる気になれば、
つながる手段はいくらでもある。


ならば、気負わず、
今日の、今の気持ちを伝えれば、それでいい。


その環境でのオフィシャルな最後の話は、
確かに最後かもしれないが、
いつが本当に、
その人との最後の話かは、
自分で決めらる余地がある。


みんなの前で、何を伝えるのか、
が、はじをかきたくないと挨拶の敷居を高くしている。


お別れの挨拶や、最後の挨拶は、
あなたが何を伝えたいか、
それに尽きる。


一言だけ言うなら何を言いたいか。
伝えたい一言だけに集中するだけ。


では、また。