こんにちは、検索迷子です。
停滞するものごと、
手抜きをすること、
一時期あれほど熱意を持っていたこと、
そういうものから、すっと心が離れていくことがある。
習慣化されていたようなものですら、
ふと気づいていたらやめていたりする。
なぜそれをやらないのか、
なぜそれをやらなくなったのか、
理由がわかっているものもあれば、
なんとなくということもある。
なぜそれをやらないのか、なんて問いはナンセンスで、
やっていないという事実があるのだから、
それならば、進むか、止まるか、
今からどうするかを考えるしかない。
ならない理由を問い詰めたとしても、
やっていない理由なんて知ったところで、
その負い目は深くなるばかりで、
自責の念にかられて萎縮するばかりだ。
やっていない、
やらなくなったという状態を受け入れて、
さてこれからどうするかを考える。
他人に対してというより、
自分は自分がしていることに対して、
ああ、これをやらなくなったなと思うことが多くなり、
自分への問いとして、なぜやらなくなったのか、
なぜやらないのかと投げかける。
仕事ならば誰かのチェックが入る。
だけど、個人的なことは、自分が設定して、
自分が評価して、どうでありたいかを考えることだ。
誰からも批判されないし、誰かも評価もされない。
だからこそ、ダイレクトになぜだろうと問いを投げにくい。
それゆえに、ぐだぐだになる。
なぜそれをやらないのかと問い続けるより、
それをやりたくなるにはどうしたらいいかと、
問いを切り替えたいと思う。
では、また。