同じあやまち

こんにちは、検索迷子です。


同じあやまちを何度も繰り返す。
何度も何度も繰り返し、
いい加減、そこから学べよと言いたくなるくらい、
まるで再現VTRを見ているかのように、
同じあやまちを何度も繰り返す。


もうこうなったら、
そういう行動パターンは自分そのものなのだと、
開き直り、
変えられないものは変えられない、
変えられないならどうするか、
あやまちに気づいたあと何をするかと、
次々と手を打っていく方向に考えるしかない。


あやまちだと思うからあやまちであって、
それは、経験なのだと思えば、
ひとつひとつに意味が生まれる。


あやまちだと思ってしまうと、
ただ、目の前にのしあがる失敗体験につぶされそうになる。


でも、それは経験だと思えば、
なんと豊かな時間を過ごせたのだと思える。


こういう考え方ができるようになったことこそ、
あやまちを積み重ねて、
そこから学んだことなのかもしれない。


本当は完全に同じである、
同じあやまちなんてない。


同じような気持ちになったとしても、
年齢を重ねたぶん、同じものではない。


ただいっとき、
ああ、あのときと同じような状況だ、
という負の感情に飲み込まれそうになる。


でも、すぐに抜け出すんだ。
と、立ち直りが早くなって、
実際に行動してきた自分であることも知っている。


あと何度、同じような経験をするのだろう。
それを怖いと思うか、
ああ、何度もチャレンジできると思うか。


この状況を楽しめるところまで、
どうせなら達観したいものだ。


では、また。