おおきなかぶ、むずかしいアボカド

こんにちは、検索迷子です。


村上春樹(むらかみはるき)さん著、
大橋歩(おおはしあゆみ)さん画、
『おおきなかぶ、むずかしいアボカド −村上ラヂオ2』、
マガジンハウス刊を読了した。

おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ2

おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ2


雑誌アンアンに10年ぶりに連載されたものを、
まとめたのが本書のようだ。


小説や翻訳とはまったく違う感じや、
海外生活が長いことや、
視点の面白さなど読み応えのあるエッセイだが、
村上さん自身はエッセイは難しいと書いている。
実際に、ほとんどエッセイは書かれていないようだ。


本書から引用する。

エッセイはむずかしい


(前略)
エッセイというのは僕の場合、本職でもなく、かといって趣味でもないので、誰に向けてどういうスタンスで何を書けばいいのか、もうひとつつかみづらい。はて、いったいどんなことを書けばいいのだろうと、腕組みをしてしまうことになる。

とはいえ僕にも、エッセイを書くに際しての原則、方針みたいなのはいちおうはある。まずひとつは人の悪口を具体的に書かないこと(これ以上面度のたねを増やしたくない)。第二に言いわけや自慢をなるべく書かないようにすること(何が自慢にあたるかという定義はけっこう複雑だけど)。第三に時事的な話題は避けること(もちろん僕にも個人的な意見はあるけれど、それを書き出すと話が長くなる)。

しかしこの三つの条件をクリアして連載エッセイを書こうとすると、結果的に話題はかなり限定されてくる。要するに「どうでもいいような話」に限りなく近づいていくわけだ。僕は個人的には「どうでもいいような話」がわりに好きなので、それはそれでかまわないんだけど、ときどき「お前のエッセイには何のメッセージもない。ふにゃふにゃしていて、思想性がなく、紙の無駄づかいだ」みたいな批判を世間で受けることがあって、そう言われると「ほんとうにそうだよな」と思うし、また反省もする。小説に関しては、どのようにひはんされても「ふん、知ったことか」と開き治れるのに、エッセイに関してはそこまで厚かましくなれない。


この箇所を読んだとき、
小説は本業だからむずかしくない、
黙ってやるのが当たり前、
翻訳も副業としてやっているけど半分趣味で、
とくにむずかしくない、
と言い切っている話のあとだっただけに、
ああ、小説や翻訳とエッセイは、村上さんにとっては全く別物なのか、
と思った。


自分はエッセイが手軽に読めるから好きなのと、
エッセイの字数制限(が印刷出版物はあると思う)があるなかで、
コンパクトに物事をまとめるのは、
職人芸だと思っていて、
エッセイを書けるということはそれだけで凄いと思う。


プロの書き手からしても、
専門ジャンルでないとむずかしい、と感じるのかと思った。


ただ、少し失礼を承知で書けば、
著名なかたはどんな表現形式であっても、
この人の文章と思って読み始める分、
メッセージ性とか、具体的なテーマ性がなくても、
ネームバリューそのものに価値があるのだと思う。
そこが素人がつらつら文章を書くこととは大きく違う。


エッセイを書くうえで、
こういう方針でというのを決めて、
きちんと取り組む姿も村上さんならではの好ましい姿勢なような気がする。


時事ネタを書かないという理由は、
自分も同じような気持ちでブログを書いているため、
ぜひどこかでもう少し掘り下げて書いてほしいと思う。


では、また。