自らの咲き時を知る

こんにちは、検索迷子です。


桜が満開だ。


ペットと一緒に、近場の桜の名所を歩いていると、
ああ、ここはこういう桜が咲く場所だ、
あ、ここは梅の木だった、
ここは桃の木だった、
ああ、雪柳はここだったと思い返す。


長く同じ地域に住んでいるため、
その花が開花すると、
一年ぶりの見事さに、お久しぶり、
今年もきれいに咲いたねという気持ちになる。


一年がこうして巡っていくのを、
近所の散歩道で知る。


自宅から、四方どの方面にお散歩にいっても、
見事に散歩道には四季の花が咲き乱れている。
この緑の豊かさ、花の美しさに、
この土地から引っ越したくないという思いがしている。


美しく咲く花を見るたびに、
花は自分の咲き時を知っているのだなと感心する。
毎年違わず同じ時期に咲き、同じ時期に散る。


そして、ひっそりと一年を迎えて、
また、ここぞというときに満開になる。


咲いていないときには存在感を消しているが、
咲き始めのときから、
ここにいるよ、と気配を見せ始め、
それっといわんばかりに咲き乱れる。


凄いなぁと思う。
潔いなと思う。


一年中がんばって咲くのではなく、
一年中見ててというのではなく、
今だ、という絶妙なタイミングで、
目と心を引きつける。


自分の一番美しい時期を、
一番効果的な方法で知らせてくれている。


ときどき、とにかくがんばらなきゃと必死になりそうなとき、
こういう的を絞った花の命のように、
潔くいきたいなと思う。


今日も明日もあさっても、と欲張らず、
短い期間であっても、
今年の花の美しさを今年見せる、
それもほんの一時期だけ、
そうやって、すぱっと生きたいなと思う。


それには、自分の咲き時を知るということか。
自分の良さを引きだすもの、
自分の咲くべき場所、
そういうものをきちんと見極められるようになり、
ここぞというときに咲きたい。


では、また。