こんにちは、検索迷子です。
ずっと、心を閉ざしている人に対して、
話をしようとボールを投げてきた。
何人かとかわるがわる投げてみて、
その効果がないことがわかった。
わりと長い期間、あきらめず投げてきた。
だけど、いったんここまでにしようかと思った。
相手がボールを受け止める準備ができていないときは、
どんな言葉も思いやりではなく、おせっかいに見えただろう。
励ましの言葉も嫌味に聞こえたり、
プレッシャーだったかもしれない。
だから、いったんリセットして、
静かに見守ることにした。
心配しすぎて、
声をかけるのをやめる決心がなかなかできなかった。
でも、これでいいのかなと思う。
自分を必要としてくれるなら、
またどこかでつながるのだと思うことにした。
時間やスピードや言葉がかみあわなかっただけで、
本質的な何かが損なわれているわけじゃない。
ただ、今じゃないんだということがわかった。
玉入れのように、
あれもこれもとボールを籠にいれようとしすぎたのかもしれない。
手にしていたボールを全部投げてしまって、
もう手持ちがなくなり、
新しいボールを捜すのはもうやめようと思った。
玉入れをして籠をいっぱいにしてきたつもりが、
たぶん、その籠には穴が開いていて、
一つもボールは入らなかったんだと思う。
それも、今は、という限定的なもので考えようと思う。
ボールをもう投げなくていいんだと思うと、
心が軽くなった。
やめてみるという決心は、
相手にも自分にも必要だったんだなと思う。
運動会が終わったら、
また次の運動会まで玉入れのかごを倉庫にしまうように、
今は、次の出番までしまえるものは片付けようと思う。
そう思うとすっきりした。
これでやっと2月が終われる。
ほっとした。
では、また。