一つを聞くと

こんにちは、検索迷子です。


知人に、一つのことを質問すると、
百くらいの答えを返してくれる人がいる。


ありがたいなあと思いながら、
一緒に仕事をしているときは、
助かると思いながらも面倒だなと思うこともあった。


今では、百くらいのことを教えてくれるのを知っていて、
あえて、最初の一つくらいしか聞かないようにしている。
どのみち、百を教えてくれるのだから、
最初の一つだけ投げれば十分だからだ。


こういうタイプは、仕事では、
重宝がられたりする反面、疎ましくも思われるだろう。


忙しくて要点のみでいいときに、
周辺の説明までは今はいらないというときに、
全部言い終わるまで解放してくれない人もいる。


注意点を全部まとめて言ってくれたり、
入口の質問のその先を先回りして、
親切にあれこれ言ってくれるのは、
それはとても助かることだが、状況次第だろう。


知人の反応を見ながら、
自分もかつて後輩がたくさんいるころは、
そういうタイプだったけれど、
いつのまにか、そういう先回りや大量の補足をしなくなったなと気づいた。


何度か転職をしたことによって、
自分より知識が浅い人を育成する役割よりも、
自分がプレイヤーであることが増えたのも大きいだろう。


何より一つ聞かれていることに、
百の答えを出しても、
労力の割りにあまり感謝されないということを知ったことだろうか。


相手が一つでいいなら、一つでいい。
せいぜい、三つくらいで十分。
それが求められているということがだんだんわかってきた。


知人は今では、同じ職場に長くいる管理者だから、
そういう教え方のままなのか、
本人の性質なのかはわからないが、
うまく質問をすれば、いい回答をもらえるので、
とても助かるのは確かだ。


複数の選択肢のなかから、
答えを見つけるのは質問者なのだと思う。


聞かれた人間は、
教えてあげるという気持ちがあっても、
その距離感だけは保っているのがいいのだなと思う。
仮に百のなかに正解があったとしても、
一つを解決したいのは、あくまで質問者なのだから。


教えたり、教わったりすることにも、
人の姿勢がいろいろでるものだと、
人に質問するたびに考えさせられる。


では、また。