ありきたりのなかにあふれる人柄

こんにちは、検索迷子です。


日ごろ、言葉を書くのにあまり躊躇しない。
手紙も手書きでさらさらと書けるほうだし、
話し言葉でも詰まることはあまりない。
まして、ブログを書くのはパソコンを使っているから、
いくらでも書き出して、いくらでも書き直せる。


が、年初はいつも少しだけ考える。
このブログを始めたのが2009年7月。
更新回数も920回ほどになる。
何度も何度も言葉を書いてきた。


それでも、年初は少し、それらしい言葉を探したくなる。
そういう欲がわく唯一の日かもしれない。


でも、結局はいつものとおり、
いつもの言葉で、
読み返すこともなく一気に文章を書く。


言葉は、自分そのものなのだとつくづく思う。
とっさのときに出てくる言葉こそが、
自分の日常を表す素、なのだと思う。


だから、怖い。
だから、言葉をいつでもつむぎ出せるように、
言葉に対する感度を落とさないように、
こうして、少しでも、少しずつでも言葉を書く。


決め言葉なんて、たぶん出てはこない。
常套句ならいくらでも書ける。
手紙のように、定型的な文章だったらお手本がなくても、
学生時代にかなり練習をしたので、
大人になった今でも困らない。


だけど、そういうきれいな文章は自分向きではない。
書くことを求められたときにはいつでも書けるのは、
確かに便利だけど、
誰かに話しかけるように、
あなたに喋るように、
ごく自然に言葉を書いていたい。


こうして書いている文章も、一度も前の行に戻らず、
誤字以外の削除さえもせず、
ほんの数分で書いている。
それがいかどうかは別として、
それで良しとしているから書けるのだと思う。


今までかつてないほど、
いい一年にする。


その想いを分かち合う人を、
一人でも多く増やしたい。


そして、一人ひとりにきちんと向き合える、
そういう言葉を私は送りつづけたい。


ありきたりの言葉さえも、
自分らしいと言われて、
ありきたりの言葉さえも、
人を励ませるような、
そういう言葉をいつでも発することができる、
瞬発力をつけたい、
そう思う。


ここで書いている言葉こそが、
自分なのだと思う。


私が選んだ言葉が、私そのものなのだ。


では、また。