自分の見え方に対処する

こんにちは、検索迷子です。


何度か転職を繰り返していると、
これは当然一人でできるということを伝える機会を逸し、
相手はできないことだという前提から仕事を振ってくることがある。


ちょっとしたプレゼンテーションの場があり、
その下資料を準備することとになった。


自分が今求められている仕事では、
あまり大掛かりなプレゼンはなく、
その資料作成という機会も少ない。
そのため、自分がプレゼンをする場というのも、
資料をどう作るかと言うのも見せる機会がなかった。


心配した上司が、細かく支持をくれ、
そこまでしてもらわなくてもと思いつつ、
でもその流儀に従い、資料を作った。


そして、当日の発表も、
できるかできないか半信半疑なんだろうなと、
様子を見ながら、発表は誰がするかと聞いた。
できたらやってほしいといわれたけれど、
バックアップはするという言葉とともに。


ああ、そこまで心もとなく見えるのだろうかと思いつつ、
リハーサルもなくその場を終えた。


話すということにおいて、
ほとんど出たとこ勝負でもあまり大失敗をしないくらい、
舞台度胸はあるほうなので、場は問題なく終えた。


それなりに、評価はされたものの、自分からするととても歯がゆい。
過去、何度もやってきたことで、
むしろ何の問題もなくできると思ってきたことでさえ、
転職という状態によって、見せる場がなく、
アピールする場もなく、これほど遠回りしてやっと、
こういう機会が得られるのだということが。


過剰にアピールするほどのことではないが、
こうして、環境が変わることによって、
それまで毎日のようにやってきたことが、
熟練に達する前に、いったんゼロクリアされて、
初心者扱いのようになるのだなと思った出来事だった。


原稿があってもなくても、
即興で喋ることができるくらい、
それなりに人前で喋るトレーニングは積んできただけに、
自分としては考えさせられる出来事だった。


が、資料そのものの中身は、
やはり組織に沿ったものでなければならず、
組織員として筋の通ったことが言える、
組織の顔として話しても大丈夫というお墨付きをもらう、
ということが大事だから、一様にテクニックだけとはいえないことだが。


自分が相手から今どう見えているかによって、
求められている力をどうだすか、
その対処の力が臨まれているのだということが、
この一件でよくわかった気がする。


では、また。