こんにちは、検索迷子です。
思い立って、過去の会社で自分の後任となった人と会った。
面識はなく、間に人に入ってもらった。
共通するものはほとんど何もないが、
自分がそれなりに思いをかけて、
社内外の人と良好な関係を築いてきたものだったため、
今の担当の方がそれをどう捕らえているのか、
ちょっと聞いてみたい気持ちがあった。
相手のかたも、未だに語り継がれる私のことに興味があり、
とても好意的に迎え入れてくれた。
会ってすぐに打ち解けることができ、
その仕事を立ち上げたころの話もできて、
今は何に悩みを抱えていてという相談も受けた。
自分が手を下せることは何もないし、
今さら元担当者として、偉そうに言えることはない。
ただ、それを心をこめて作ったということだけは伝えられた。
新しく何かを作り出す人だけが、まるで偉業を成し遂げたかのように、
クローズアップされがちが、
私としては、それを継続してメンテナンスして成長を見届ける人のほうが、
もっと凄いと思う。
火を絶やさず、ずっと灯りを灯し続けるということは労力がいる。
ましてや、他人が最初に作ったものは、
引継書があるかないかの次元ではなく、目に見えない引継ぎ事項が無数にある。
そうした、面倒なことも引き受け、
今もなおその仕事を続けてくれていることに頭が下がる。
これまでは、後任者に会いに行くというのは、絶対にできなかった。
時にプライドが、時に嫉妬が、時に無関心が邪魔をして、
過去を振り返る暇もなく前だけを見ていた。
でも、そうした気落ちをふと緩和させて、
会いに行く手配を頼み、会ってみるといくつもの発見があった。
自分が関わった仕事はこのように今を生きている、と再確認できた。
過去を直視したり、割り切ったり、何かを汲み取ったりする余裕が、
やっと今できてきたのかもしれない。
そして、取り次いでくれるような人脈もできたことも大きい。
後任者に会いに行くのも悪くないと思った。
もちろん、相手が嫌がらなければというのが大前提だが。
何か過去に忘れ物をしたものが、
やっと今見つかったような気もしている。
過去と向き合えたことで、また新しい時間を作れそうな活力をもらった。
なかなか悪くない感覚だ。
機会があれば、また違う仕事の後任者に会いにいってみようかと思う。
いつでも、会いたいと思われる自分であり続けようと思う。
では、また。