こんにちは、検索迷子です。
社会人同士の勉強会の集まりで知り合った人たちと、
飲みに行った。
年齢も経歴もまちまちで、キャリアの面での共通項はほとんどない。
それでも、同じ時期同じような思いでその勉強会に参加したことで、
絆は強く、ときどき集まっている。
メンバーのなかには、フリーランスで活躍している人もいる。
その人は、サラリーマンがいかに今の時代不安定で、
自分の腕一本で仕事をしていくほうが、
失業リスクや、不満だらけの日常から解放されると言う。
だから、一日も早く、独立の道筋を立てたほうがいいと。
多くの人は、それに異論を唱える。
サラリーマンのほうが一見、安定そうに見えるし、
ミッションも明確で、その枠のなかでやりがいを考えればいいと考えているからだ。
収入も決まったものが固定で入る。
それを捨てる理由がないという。
自分では、どちらも正しく、
どちらも納得できるが、
そのどちらが自分にあっているのかが正直わからない。
サラリーマンも十分経験し、
フリーランスも経験し、
長所も短所もわかる。
でも、それはその年齢の自分だからこそ感じた、
向上心やあるいは保守的な考え方や、意味づけだった。
だから、今、どんな道に進めばいいか、
将来どうあるべきかは常に考えている。
確実にわかるのは、サラリーマンは永久就職ではない、
ということだ。
組織にいても、個人事業主のような実力主義、
成果主義、責任の取らされ方が以前に増して大きくなっている。
会社は個人を守ってくれないと、だんだん体感している。
組織への帰属意識も随分と変わってきた。
フリーランスは交渉ごとの連続だ。
突発的なことに自分が全て交渉にあたらなければ、
定型パターンでできることは少ない。
その苦労と引き換えに時間は自由がききやすいかもしれないが、
それだって、依頼主の都合による。
本当に自由かと言われれば、不自由な気もする。
フリーランスの別の知人は、
フリーなのは自分ではなく、
相手にとってフリーでいつでも仕事が頼めるからだ、
と妙に説得力のあることを言っていた。
24時間開店しておかなければ、仕事は来ないと。
この場合は、いつでもケータイがつながるという意味だが。
今やサラリーマンであっても、
フリーランスにいつなってもいいように、
仕事の専門性を高めたり、
人脈を築いたり、
交渉力を磨いたりと準備を怠ってはならないと思う。
だから、会社にいながらにして、
独立準備をしているような感覚もある。
フリーかサラリーマンかは、もはや遠い二択ではない。
望まなくとも、突然の人員整理で自分が対象にならないとは、
誰も言い切れない。
安定を求めるなら、
自分で自分の世界を作り上げるほうが、
他人に人生を委ねるサラリーマンよりずっと確実だと、
フリーランスの知人は言う。
他人の依頼業務ばかりに身を委ねて日々を過ごしていたら、
迫り来る危機を察知できず、
沈みかかった船の沈没直前に、
我が身の危険をやっと自覚することになりかねない。
どんな働き方を選択するにしても、
自分の価値を高めないことには、
それに見合った対価はついてこない。
固定給だからといって、それに満足していないなら、
自分で自分を安売りしているだけで、なおのこと苦しいのだから。
知人たちが議論するのを聞きながら、
自分としてはまだ答えがでない。
でも、どこにでもいける準備は常にしておこうと思う。
今出来ることをやろうと思う。
では、また。