こんにちは、検索迷子です。
自分のブログに来た人のキーワードを見ながら、
この疑問形の問いには答えられてないだろうなと、
検索した人はその後、どうやって疑問を解決したか、
気にかかることがある。
商用サイトではないため、
わかったところでナビゲーションを見直すわけではない。
ただ、気にかけるだけだ。
なぜこんなキーワードを他人対して思いながら、
はたと自分も答えがない問いを、
検索していることに気づく。
どんな答えを見つけるためかすらわからず、
ただ思いついた単語を打ち込み、
返ってくる検索結果を眺めていたりする。
解決させたいわけではなく、
双方向サービスにつぶやきたいのでもなく、
ただ、自分の独り言のように、キーワードを投げる。
答えが出ないことをわざわざ確認するかのように、
キーワードを投げる。
答えがあるなら、先に進めるだろうが、
検索できないもののほうが、日常には多い。
検索しながら、問いを向ける先は検索窓ではなく、
リアルな人かもしれないとわかってることもある。
なのに、検索してしまう。
誰かに聞けるくらいなら、検索なんてしない。
検索して解決できることは多いが、
検索だけでは解決できないようになっている。
このキーワードに答えがあるかは、
自分だけしかわからない。
キーワード分析して、他人にも、自分にも、
ネットでできることが限定的だとつくづく思う。
それでも、小さな救いを求めて、
またそうキーワードで検索するのかもしれない。
本当の答えに出会うまで、何度も。
繰り返しの問いに、いつか答えがでるまで、
検索は叫びを静かに吸収してくる、小さな窓として、
いつもたんたんとキーワードを受け止めてくれる。
なぜそれを知りたいか、訳さえ聞かず。
独り言を聞き流してくれる。
いつかこの問いに、答えは出るのだろうか。
では、また。