目立たぬ実力は自分次第

こんにちは、検索迷子です。


いろんな方とお会いする仕事をしていて、
いわゆる仕事のできる方にたくさん出会う。


失礼ながら、どうしてこんなに実力があるのに、
今の会社におられるのかと驚くこともある。
個人の働き方や、職場の選択基準はいろいろあるため、
そこには立ち入れないが、
なぜ、自分の力を活かせない場所にいるのかと、
他人事ながら気にかかることがある。


それだけの段取り力や、
交渉力や、応用性や経験など、
総合的に考えてもっと大きい仕事やステージにいけそうなのに、
なぜ、その仕事をしているのかと思ったり。


親しい方には直接疑問をぶつけてみたりするが、
それを聞けない方もいる。
だから余計に気になる。


大会社とか中小企業とかそういうレベルではなく、
たとえば定型業務とか、決まりきった商材とか、
本人の実力の広がりを活かしきれないものをやっているとき、
ああ、もったいないなと思う。


余計なお世話という気もするが、
本人がそれで納得する別な切り口があるのかと思う。


でも、実力を自覚していなかったり、
潜在能力を見出す存在がいなかったり、
本人が無自覚のときが一番不幸なのかもしれない。


こんなに凄い力があるのに、なぜここにいるのか。
そう問いかけて、本人が変わるチャンスに気づかせて、
その人の未来の発展を願うなんて、
よほど近しい人にしかできない。


あるいは、本人の野望の持ち方や疑問意識なのだろうか。
自分はもっと出来る、もっと変われる、
もっと可能性があると思う自分への問いを持たない限り、
現状維持は一番楽な方法だ。


違う場で自分を試してみたい。
そんなかっこいい大きい覚悟でなくても、
漠然と何かやりたいという気持ちだけでも人は変われる。


実力をどう活かすかは、自分次第なのかもしれない。
この場所でいいと思ったときに、自分の居場所や、
能力の発揮するステージは固定化されていく。


誰もが自分のように、
もっといいもの、もっと自分が活きる場所と思ってはいないだろうが、
安泰を選んだ時点で、自分の仕事での立ち位置は決まってしまう、
そんな事例が多いことがわかってきた。


他人に見出してもらえないから、実力が発揮できないのではない。
自分が実力を発揮できるステージを選ばないだけなのだ。
私はそう思う。


そんなに仕事ができるのに、
どうしてそんなことをしているの?


自分には言えないが、
実力のある人を見かけたら、
たぶんこれからも聞いてしまうだろう。


実力がある自分を、
自分で見せていける力だって自分次第なのだ。


どこにいきたい自分なのか、見つめながら生きることが、
どれだけ難しいかと思うことの連続だ。
そして、どこにいこうとして動けるかが。


実力を見せるのも実力。
そう思う。


では、また。