すれ違う思い

こんにちは、検索迷子です。


プロジェクトを運営しているとき、
小さなジレンマを感じることは多い。


プロジェクトメンバーが全員社内の人間ではないため、
情報共有を丁寧にしているつもりだが、
伝えていても伝わりきらないことがどうしても出てくる。


それはメールであろうが、電話であろうが、
対面で打ち合わせをしようが、
お客様のところに同行してもらおうが、
埋めきれないものだったりする。


同じ社内にいたところで、
個々人のキャリアの背景が違えば同じことが起きるが、
接触時間の短い外部パートナーの場合は、
その小さな溝を埋める時間が限られている。


それでも、最終ゴールに向けて、
できるだけ溝を埋めるように努力は重ねるが、
やっぱりどこかで齟齬が生じる。
ときには手遅れのこともある。


致命的なミスにはならないよう、多くのことは回避できているため、
綱渡りの思いをしながらも、最後はなんとかできるし、
なんとかしてきたという気持ちはある。


でも、すれ違う思いや、かみあわないことには、
こうした納品物だけではないものもあるとわかってきた。


たとえば、私自身、プロジェクトの情報共有のために、
周辺情報などをメールをしたり、
お客様からの声や反響などをメールで伝えることが多い。


おおむね好評の話題を、
担当者レベルに謝辞を含めてメールをしたり、
関連資料を入手したら添付したりと、
継続的に情報を伝える努力をしているほうだと思う。


また、パートナーさんにとっても、
その上司の方に担当者の活躍度合いを伝える数少ない機会だと思っている。


だけど、そういう情報について、
すぐ反応してくれる人もいる反面、
メールを受けとったのかどうかもわからないまま、
読み飛ばしている人もいる。


送ったこちらからすると、
評価してますよと言うお礼に対して何もないと、
逆にそれは迷惑だったのかと思わされたりする。
もうこういうメールはしないほうがいいのか、
そんな気になっていたりする。


そういう思いをしていた一社があった。
何件かの仕事で感謝を伝えていたことに対して、
反応が全くなくて、もうこの手の連絡は控えようと、
自分としてはトーンダウンしていたところがあった。


たまたま別件で連絡をすることがあって電話をしていたところ、
そのときの話になり、
いやー、あれ嬉しかったんですよ。
送ってもらった資料も勉強になって助かりましたよ。
そう言われた。


目がテンになるとはこのことだと思った。
こちらとしては、自己嫌悪のように、
あんなメールを送って迷惑だったと思っていたことが、
逆に感謝までされていたとは。
ならば、なぜそのとき、一言でも教えてくれなかったのかと。
後悔したり、こちらが気持ちが閉じかけたときに、
今更そんなことを言われてもと。


こうやって、メールをただ読み流して、
反応しない人たちは失うものは大きいだろう。
たった一言、読んだよという反応を返してくれるだけでも、
私の思いは随分と違った。


すれ違う思いは、無反応から生まれるのかもしれない。
小さな反応でも返しておく必要があると、
自分のありかたも含めて思った。


きっと相手は喜んで役立ててくれるだろうと思って発信する情報ほど、
多数の宛先だと誰もレスをしないことがある。
誰かがレスをするだろうと思っているのもあるだろうし、
そういう人懐っこさをみせるのが恥ずかしいと思う風土の職場もあるだろう。
場合によっては発注先に媚びていると思われたくないとか。


そんなことよりも、
伝えたいと思って伝えた自分に対して、
純粋に声を返したいと思ってくれる信頼関係を作りたいと思った。


すれ違う思いには、
すれ違ってしまうベースがあるのだろう。


まだ距離が縮められていない、
自分のメールに対して何かを返したいという気持ちにまで、
相手の会社をさせていない、
そういうことなのかと思った。


裏で個人的に感謝されていても、それは伝わらない。
私の後悔の念と、相手の感謝の温度の違いが、
電話口で耳にしたとき、
こんなにもすれ違っていたのかと苦々しい思いがした。


すれ違いのままで終わらなくて良かったと思うが、
すれ違いのまま終わったかもしれないし、
それで次の仕事の相談はしなかったのかもしれないと、
メールの反応一つとっても機会損失になると思う。


相手のかたはそんなこととはつゆ知らず、
いやーあれよかったですねと連呼してくれたが、
私としては悔いていた時間は取り戻せないような気がした。


思いは伝えるタイミングを間違えると、
すれ違いの溝は埋まらない。


過去に遡って、思いを共有しあうことはできない。
だからこそ、今、このときに伝え合うことを大切にしたい。


では、また。