検索迷子、600回目

こんにちは、検索迷子です。


このエントリーで検索迷子は600回目になる。
連続して書いている日も548日目となった。


ブログを始めてみて、気づいたことはとても多い。
記録する意味、一日のなかで消化しきってしまうことの価値、
続けることの重さ、
そして自分と向き合いながら発信者としてどうであるか、ということ。


特に、自分の場合、そのときどきの仕事が生きる核となっているため、
話題の一貫性よりも、自分そのものの心の揺れがここに出てしまうことがわかった。


その日心を支配している話題を脇においておいて、
違う汎用的な話題に大きくテーマを振れてしまいたいと思うこともあったが、
そんなに器用なことはできないのだと知った。


今、リアルタイムであがいていること、
解決したいことに真っ直ぐ向き合う、
そういうスタイルしか自分にはできないのだと思った。


誰かに読ませる文章ではないのかもしれない。
だけど、少なくとも、私の心の浄化にはなっている。
そんな、自己都合でいいのかもと最近は思う。
続けるのも辞めるのも自分なのだから。
自分が毎日書く意味を見つけていかなければ、
義務感だけではとても続かない。


伝えたいことがたくさんあるから書くのだと思っていたけど、
伝える場があるから、伝えることを考えながら日々を生きて、
そして、ここで発散することによって次の日を生きる力にする、
そんなブログとの向き合い方が自分のスタイルなんだと思う。


検索迷子というサイトタイトルをつけて、
最近つくづく、これが自分のいろんな意味でのキーワードだなと思う。


Webに関わる仕事という意味でも、
情報検索という意味でも、
人生の指針に揺らぎながら生きるという意味でも。


自分が迷い、迷路のなかにはまりこみ、
それでもそこから脱出しようとあがく、
その一瞬一瞬が記録したいことであり、
誰かに伝えたいことになる。


というよりかは、誰かに伝えるブログという場があるからこそ、
個人的なこととして落ち込み続けることなく、
俯瞰できるようになっていくのかもしれない。


書くことを力に変えていくために、
私は検索迷子に毎日書き込み、今日を過去に変えて、
明日に向かって、明日を信じて生きられるのかもしれない。


600回分の自分の検索迷子っぷりには、きっと意味がある。
誰かが検索した一瞬に、マッチできるのなら、
私のどんな恥ずかしい経験だって誰かの役に立っている。


そう思いながら、見えない訪問者のかたたちのために、
何よりも自分のためにまたこれからも記録し続けようと思う。


検索迷子を救いたい。
その気持ちはずっと心に抱いて。


どんな形でより深く実現するかは、
試行錯誤しているけれど、
何も発信しないより、
たぶんどこかで誰かのために、小さな光を灯しているのだと思いたい。


私は伝え続ける。
検索迷子のあなたに。そして、自分に。


このネットの片隅で。
そして、いつかもっと大きな声で伝えられる日まで。


では、また。