検索できることの怖さ

こんにちは、検索迷子です。


インターネットの検索は便利な反面、怖いと思うこともある。
知らなかったことを知れる面白さと同時に、
知らなかったことに気づいてしまい、がくぜんとすることもある。


お客さまの会社をいろいろ調べていて、
コーポレートサイトからは知ることができなかった、
意外な情報が得られるときがある。
それは、商談に使えるものもあれば、
担当者のかたの実績や過去の職歴だったりする。


知っておいてよかったと思うものもあれば、
知ったばかりにあれこれ思いをめぐらせてしまうようなものもある。
意図的に検索していなくても、
検索結果が偶然連れてきてくれる情報も多い。


検索を通して得た情報を活用してく大切さを感じつつ、
何か少し、複雑になるような思いもある。
それが、検索という仕組みなのだとわかっていても、
意図せぬところで、意図せぬ情報が流れ、
そして誰かがその情報をすくい上げている。
これが、検索というシステムなのかと考えてしまう。


自分自身は、基本的には匿名で検索迷子を運営しているため、
個人名とこのブログにはなんら関連性は出てこない。
2年間続けてきた検索迷子は、検索するとそれなりにヒットし、
キーワードからの流入もされる。
が、自分はというとネット上では無名のままである。


この匿名性のなかで、果たして得をしているのか、
それとも機会損失になっているのか計りかねている。


自分がここの書き手だとわかることが、
誰かの迷惑になるのではないかという思いもあるが、
自分が発信者だと宣言する勇気やメリットも感じにくいせいもある。
検索してみたところで、ずっと自分は影の存在のままなのだ。


検索できる、検索されるということを、
何か改めて考えている。


ネット上に棲みついていたとしても、
誰かに認知されなければ、それはいないも同然だと思う瞬間もある。


他の人の情報をキャッチしながら、
自分はキャッチされないままでもいいのかと、
これから先の働き方を含めて考えたりする。


検索されるのも覚悟がいるのだと思った。
責任を伴った何かをしている人ほど、
露出されるものなのだ。
誰かが誰かに紹介したいと思われるということもあるだろう。


検索されるような存在に、自分はなっているのだろうか。
なっていくのだろうかと考える。


検索迷子を指名で閲覧してくれている方もおり。
匿名性のなかではほんの少しだけ、関心はもたれているのかもしれない。
それで、ずっとやっていくのか、
それで満足できるのかは、まだわからない。


検索で自分のことを知りたいと思う人が、
果たしてどれくらいいるのだろうと、
他の人の検索結果からの情報に驚きつつ、つらつらと考えた。


今のところ、自分はどうしたいのか答えは出ない。
検索されることがいいのか、されないほうがいいのか。


では、また。